「親」という字を漢和辞典で引いて見ました。「見」が部首で「辛」と合わせた文字のようです。「見」は目を離さない。「辛」は肌身を刺す鋭いナイフを描いた象形文字で、「親」という字はナイフで身を切るように身近に接して見ていること。じかに刺激をうける近しい間がらの意味だそうです。漢字ってよく考えられて出来ているなとつくづく思います。「親」は我が身を削ってすぐそばで見守る存在ということなんですね。いつまでも親に経済的支援をうける「すねかじり」であっても、かじって削ぎ落とされてもなんとかしてやりたい見守り続けたいというのが親なんでしょうね。ちょっと調べた中には「親」という字そのものには血縁関係の有無については書かれていませんでした。医学的な父母の関係にある人が親であるとは書いてありませんでした。世の中のニュースと見ていると、育児放棄や我が子に対する虐待、親が子どもを殺したとか、「親」という字が持つの本来の親の意味からすると、本当の親とは子どもを産んだだけでは親とは言わないですね。
キタキツネの子育ての話を聞いた事があります。キタキツネは春に生まれた子どもが無邪気に遊んでいる時も親キツネは常に当たりを警戒し守り、食事もそれこそ子どもに食べさせるために自分は食べなくても我慢できる。まさに我が身を削ぎながら側で見ている。夏が過ぎ秋になってくると、一緒に行動していた狐の親子に子別れの時期が来ます。それまで優しかった母親が、躾のための甘噛みではなく本気で何度も噛みつき親離れをさせ、冬を迎えるまでに独り立ちさせるそうです。大自然の中では、いつまでもすねかじりはしていられません。親キツネも自分のテリトリーから追い出して、餌を確保しなければいけません。もし、子キツネを自分のテリトリーの中に残したとすれば、餌は足りなくなり親子そろって痩せ細り厳しい冬を越せなくなってしまいます。種の保存のための本能が働いて必死に子育てをするキタキツネの親。子どもの成長といのちを守ることを第一に考えて子育てをする親キツネ。自立できなければ寒い冬をむかえて痩せ細って生きていく事ができない子キツネ。親を親たらしめるのは、守らなければならい子どもがいる事で、親になっていくんですね。しかし、なんでも手に入る現代社会、快適な環境で生活できる文明に生きている私たちは、それが当たり前のことのように錯覚した日々を過ごしています。食べ物は食べきれずに捨てるだけ有って、子どもが欲しいと言ったものは何でも買い与える。子どもがして欲しいと思うことはなんでも先回りしてしてしまう。子どもを甘やかすだけ甘やかして、自分がいなければダメな子なんですと言わんばかりに自主性を失わせる。結果いつまでたってもすねかじりになっていませんかね。ほんとに「親」にしてくれるのは子ども。 なんまんだぶ
今月のことばについて
「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。