2012年11月

これからではない すでに救いのみ手の中

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 暑かった夏がやっと過ぎて行ったかと思うとあっという間に朝晩めっきり寒くなってきました。今年のあの暑さは何だったんだろう。今年の冬はどんな事になるんだろう。ぼちぼち冬支度もはじめなければいけませんね。先日こたつを出しました。出したと言っても夏場はソファーのセンターテーブルにもなるものなので、こたつ布団を掛けただけですが今の時期だと電気を入れなくても充分に暖かいです。こたつに入ってテレビを見る。冬のスタイルがまた始まろうとしています。最近のテレビは地上デジタル放送や衛星放送などでチャンネル数も増えいろいろな番組が観られるようになりました。そんななかテレビショッピングとアジア各国のドラマは増えたのではないでしょうか。アジアのドラマのさきがけとなったのが「冬のソナタ」でしょう。私も観ました。初恋の人を事故でなくし成人になって出会った人がその初恋の人にそっくりだった。しかし実は事故で亡くなったと思っていた初恋の人は亡くなっておらず記憶喪失になっていた。おとなになって出会った初恋の人にそっくりなその人が、初恋の人その人なのですが、記憶をなくしているので同一人物であるという事になかなか気付く事が出来ないという話です。これからどんな方向に話が進むんだろうとついつい夢中になって続けて見てしまった思い出があります。愛しい初恋の人に出会っているんだけれども気付いていないから出会えた喜びなど全くなく、なぜそんなに似ているのか、どうして死んでしまったんだろうと悲しみがよみがえってくるのであります。日々の暮らしの中でも出会っているにもかかわらずよろこべないという事が結構ありますよね。私は今日これから先日受けた二次検査の結果を聞きに行くんですが、病院では既に私の身体の検査結果を把握しているんですが、私はまだ知らない。よろこばし結果なのか、そうではないのか気になるものです。結果は出ているんだけれども自分は知らないので良いのか悪いのかがわからない。親鸞聖人は教行信証の総序に「遇いがたくしていま遇うことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり」とお示しになられています。仏様はこの私のために常に真実まことを届けておはたらきくださっているのに、迷いの人生を歩んでる私は、まことが届いているのに煩悩の闇にさえぎられて見えていないのが現状でありましょう。すでに救いの手がさしのべられているにもかかわらず気付いていない。救われている事に気付いていなければ救われたよろこびなど全く感じることがないのであります。仏法を聴くことによって、これから救われていくのではないのであります。すでに救われていることに気付かせていただくのであります。闇の中で迷っていた私でした。光が届いて闇が闇だとわかりました。闇は光によって打ち破られましたと見えた時には、すでに救いの み手の中

    なんまんだぶ

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