2013年8月

 

 
 私にとっての幸せとは何だろうと考えてみる。自分の事だから簡単に答えが出てくるはず
 
なのにしばし考え込んでしまう。日頃から自分の事についてあまり考えた事がないと言うか、
 
結構自分自身の事も考えていないなという事に気付く。なんといい加減な日暮しを送ってい
 
るのだろう。と言いながらも特に改める事もしませんが。人間の幸せ、人が幸せを感じるこ
 
とがらについて考えてみます。毎日の生活にさほど不自由するという事もなく。平凡ながら
 
もそこそこ充実しているなと思える日暮しを送っている現状。毎日の暮らしに可もなく不可
 
もなく、満点とまではいかないが、かといって0点でもない。体調はまあまあ。血圧や血糖
 
値は若干気にはなるけれど日常生活が送れないという事でもない。美味しい食事もいただけ
 
る。健康で、おもしろおかしく楽しく毎日を送る事が出来ている。こんな状況を私たちは
 
「あぁ、幸せな事だなぁ」と表現するのではないでしょうか。しかし、この「幸せな事だなぁ」
 
の定義は健康でそこそこお金も持っている事で成り立っている幸せであります。これらの条
 
件がひとつでもはずれればいとも簡単に崩れさる実にもろい幸せだと言わざるを得ません。
 
人間のまことのしあわせはどこにあるのだろうか。健康である事が幸せであるならば、病い
 
をわずらう事は不幸せな事である。人は不幸せでこの娑婆の人生を終えていかなければなら
 
ない事になる。頑張って倹約してお金をたくさん貯めると幸せになれるだろうか。お金があ
 
れば非常に便利で、世の中で自由が利くようにはなるでしょうが、お金が原因で対立したり、
 
喧嘩をしたり、殺したり殺されたりと お金が絡めば絡む程大変な事がたくさんになってくる
 
ではありませんか。私にはさほど関係の無い世界ではありますが、先日サマージャンボを買っ
 
たので5億円が当ったらそちらの世界に足を踏み入れる事になってしまうのでしょうかね。
 
お金も幸せの尺度にはなりません。私たちが日常で幸せだと感じる事柄は、私の願いの満足度
 
が高ければ高い程、幸せだと感じる仕組みになっています。願いが叶わなければずっとしあわ
 
せを感じる事は無く、不平不満ばかりがわいてきます。本当のしあわせとは、この不平不満か
 
ら解放される事ではないでしょうか。私の物事の見方が一貫して変わる事のない価値観で見る
 
ことが出来ていないと知らしめる世界、その末通って変わらない世界に出遇うことであり、
 
出遇うことによって、まことのしあわせが私に味わえるのでありましょう。   
 
    なんまんだぶ
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