2011年7月

 福島第1原発の事故以来 I、A、E、A(IAEA=国際原子力機関)というアルファベットを良く耳にします。
インターネットで調べると、原子力の平和利用を促進し,戦争の道具に使われないようにするための保障措置を実施する国際機関であると書かれていました。
核の拡散を監視する「核の番人」のようなところだそうです。核の威力、脅威がすごいという事は今回の原発事故を見たら一目瞭然であります。
わずかな核燃料で莫大な熱を発生させ水蒸気でタービンを回して発電をする。それが思いもよらない大災害により安全に運転できなくなったら、大変な事態を引き起こすという事もわかりました。

このたびの原発事故は思いもよらない事態であり、想定外の事故であると国や東京電力は言っていますが、過去の記録などからは思いはかる事が出来ない事だったのだろうか、それとも現実的におこる可能性が非常に低いという判断からの発言なのだろうか。

いずれにせよ無責任きわまりない話であります。しかし、こう書くと電気を使いたい放題使う国民がいるから。電気の需要があるから供給せざるを得ないんだと言われる方もあるでしょう。

そこで思うのですが、そもそも日本の消費電力はいったいどのくらいなのだろうか。どれほどの発電量が必要とされているのだろうか。

私自身、身の回りの事をいかに知らないか、いかに無関心で暮らしていた事かとつくづく反省させられました。

原発事故後毎日のように聞く言葉にマイクロシーベルト、ミリシーベルト、ベクレル等がある。それが原発から放出されている放射能にかかわる単位であるという事は承知しているが、それが放射能の何を意味し何を現す単位なのか、どのくらいの量がどれほどの意味を持つのかさっぱり知らない。

こんな事ではいけないと思うのだが、多くの方の放射能に対しての知識は私とあまり変わらないのではないだろうか。

こんな国民相手だから国は好き放題できるのだと思う。いったいどれほどの放射能を浴びたらどのようになるのか、放射能をどれくらい被爆するとどうなるのか。

この度の原発事故は核の脅威というものについて何も知らない私に気付かせてくれました。

核の脅威は核兵器によってのみもたらされるものではなかったんだとつくづく教えられました。一度大惨事が起こればどうして良いのかわからないそんな生活をしている私に、現実の生活がどんな事になっているのか知る事、放射能数値をきちんと理解している事が、どれほど大切な事だったことか、知らなければならなかったのに、日本という国は真実をなにひとつ教えてくれていなかった。

日本という国は、国家は守るけれど国民は守ってくれない国だという事がいよいよ見えてきました。

この混迷し、混沌としている世の中において何が真実なのか、何が大切な事なのか、見抜く力を持たなければ、この迷いの世の中をわたっていくのは大変難しい事です。末通って変わる事のない真実に出遇った時に迷いが迷いとわかる。

迷いの娑婆世界から真実まことの世界へといそぎ参りたき心なき私に、迷いの娑婆世界を如実にお知らせくださった東日本大震災であり、現実の娑婆世界にありながら迷いを見抜く真実を届けてくださるご本願のおはたらきは、迷い続ける私を目あてとしていたりとどいてくださっていたのであります。 

           
     なんまんだぶ

 

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