2015年5月

15.05S.jpg

先日、渋谷区で同性カップルに対して「結婚に相当する関係」と認める「パートナーシップ証明書」を発行するという、日本で初めての条例が可決・成立したそうです。住まいを探すことひとつとっても、異性のカップルであれば簡単に借りられる住まいもなかなか難しいのだそうです。自分にとって関心のないこと関連性のないことに対してはいかに無関心であったか気付かされる。知らないこと気づかないことが世の中にはいっぱいありますね。最近よく耳にする言葉で「男女共同参画」という言葉があります。男女共同参画社会とは、「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」であると『男女共同参画社会基本法第2条』に示されています。それに基づき男女共同参画社会の実現に向けて様々な取り組みがなされているようですが、具体的に共同参画の社会とは男女が同じ仕事をして男性も家事を半分は負担する家庭を作るということなのだろうか。難しい問題もたくさんありそうだが女性だからという理由で個人の尊厳が損なわれることのない社会にしなければならないと思います。社会全体の意識を変えていかなければなかなか簡単には男女共同参画社会の実現は難しいでありましょう。

仏さまのおはたらきを母親におたとえされることがよくあります。今月の法語も「阿弥陀さまのほほえみはお母さんのほほえみ」と示されています。お父さんだってほほえむことはあるんだよと言いたくなりますが、やはりお母さんにはかないません。母と子のつながりは父親と子のつながりとは明らかに違うように思います。父親には父親の、母親には母親の役割があるんだと思います。そこには性差の役割分担がきちんと出来上がっていると思います。仏さまのほほえみと言われてもお母さんのほほえみがどれだけ私にとって大切なものであり有難いことなのかがわかっていなければ、阿弥陀さまのほほえみがお母さんのほほえみだと言われてもなんのことだかさっぱり味わえません。母親の有難さがわかるということは、母親にどれだけ背いていた私であったか、どれほど親不孝をしてきたかということがわかり慚愧するところで知れることであります。これまで私は母がニコニコ微笑んでくれるような良い子ではありませんでした。どちらかというと悲しませることばかりしてきた人生であります。しかし母親は理屈抜きで子供のことを思い育ててくれているのでありましょう。私が人生で失敗をしたり苦しみもがいている時に、母親は一緒に苦しみ悲しんでくれているのでありましょう。私が嬉しいときにはよろこんでくれるのでありましょう。父も心配してくれているんですよ。私だって父親として子どもの事を心配しているのですが、はやりお母さんのほほえみということは男女共同参画社会の在り方を超えて偉大なんですね。どんなに困らせようとも、どんなに言うことをきかなくても、どんなに背いた生き様をしていても、無条件に子どもを受け入れる母親。すごいですよね。素晴らしいですよね。そう思いながらも私は男でよかった、父親でよかったいう気持ちがどこかにある。私は親に背きながらしか生きていけないという現れですね。お粗末なことです。申し訳ないことです。でもお母さんは微笑んでくれるのです。

     なんまんだぶ

ホームへ
寺の概要
今月のことば
ブログ ブツブツ相念
お問合わせ・連絡

アーカイブ

年・月別アーカイブ