2016年3月

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 三月は旅立ちの季節、別れの季節ですね。今年も保育所から10人の子供達が卒園していきます。開所6年目を迎える今年は開所と同時に0歳児で入所した子がこの春から小学校へ通い始めます。もうそれだけの月日が過ぎたんですね早いなとつくづく感じます。市内にはうち以外にも保育所はたくさんある中で、たまたま近くにあったからとか、病児保育をしている保育所だったからとか、通わせ始める理由はそれぞれにあったでしょうけれど、ご縁があって私どもの保育所に通わせてくださいました。ありがとうございます。本当によく通ってきてくださいました。お寺にある保育所ということで、それまではお寺とのつながりがあまりなかったお宅のお子さんも、保育所が縁で仏様に手をあわせる機会が出来たということも多いのではないかと思います。子ども達は、毎月16日の親鸞さまのご命日には本堂へお参りをします。その時にはきちんと正座して「合掌」の声に合わせて「ナモアミダブツ、ナモアミダブツ」とお念仏します。さて、お念仏とは何でしょうか。『南無阿弥陀仏(ナモアミダブツ)』と口に称えることをお念仏すると言います。お念仏には、名号(みょうごう)や称名(しょうみょう)という違った呼び方、名前があります。念仏とは仏さま〈阿弥陀如来〉を念じることです。名号とは私たちを救いたいと願われる仏様のおはたらきを意味します。そして仏様〈阿弥陀如来〉の名前を口に称える行為を称名(しょうみょう)と言います。すなわち「ナモアミダブツ」とは苦悩の私を救うと誓われた仏様のことであり、その苦悩を取り除くおはたらきであり、阿弥陀さまのお名前を口に称えることであります。お念仏して「ありがとう」の灯がともってくださるとはどんな灯でしょうか。阿弥陀様は、健康で長生きがしたいけれど病気は嫌だという私の自分勝手な願いが老病死の苦悩を生み出しているんだと知らしめして、その苦悩を越えていく道を示してくださっているのです。そのことに出遇えたならば、そこには「阿弥陀さまありがとうございます」と仏様のご恩に報いる感謝のお念仏が口をついて出てくるのでありましょう。その「ありがとう」とは「有ること難し」です。日々の暮らしのどれをとってみても全て有り難いことだらけです。ありがとうございますとよろこばせていただく人生の歩みが出来る身になるんですね。健康で長生きしたいと思っていたけれど、生きることも長さ(長生き)ではなく幅(柔軟性)が大切であり、深さ(深まり)が大切なんですね。俺が俺がではなく、そうですかぁ。そういう見方もできますねぇというやわらかい心。何ごとも当たり前がない世界でした。お念仏は、いつもそばにいるよ。寄り添っているよ。あなたを見守っているよという阿弥陀さまの私を喚ぶ声であり、そのご恩に感謝の「ありがとうございます」なんですね。こんな私の体の中にもお念仏が届いてくださった。ともってくださった有り難い。なんまんだぶ

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