2012年12月

×より◯がよく見える「心の目」を大切に

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 夏に受けた人間ドックの結果を聞いて再検査を受けましたというところまでここに書きましたが、その結果については書いていませんでした。

すると皆さんから「どうだった?」「だいじょうぶなの?」とご心配のことばをいただきました。

再検査を受けたことを書いたのならば、きちんと結果も報告しなければいけませんね。

肺の影はレントゲンを撮ってみて、CT検査を受けた結果「問題ありませんね」というお言葉をいただきました。ご心配をいただいた皆様ありがとうございました。

もしかしたら肺がんかも知れないと思った時にはいろんな事を考えました。

それは、自分がいなくなった時にまわりの混乱をどうすれば最小限に抑えられるだろうかという事でした。

決めておかなければいけない事、伝えておかなければいけない事、あれやこれや結構あったように思います。

しかし、肺がんではないとわかったとたん、それまで大事だと思っていた決めておかなけれなならない事も伝えておかなければならない事もそのままにしてしまっているこの現実。何もわかっていない、大事な事は後回しにする私なんだなと反省させられる。自分の事は自分が一番良く知っていると思っていても本当の自分の姿はなかなかみる事が出来ないものですね。

先日電車に乗っていると通路を挟んだ隣の席にお母さんと3歳くらいの子どもが乗って来ました。お母さんは子どもにおとなしく電車に乗っていてほしいかったのでしょう。

「言う事きいて」「あれしてこれして」「なになにしちゃだめ」と言い続けていました。

このお母さんにとって自分の思い通りの子どもになってもらうには、規制ばかりかけなければいけないんだな。

と思いながら聞き耳を立てていました。すると、「言う事きくのとビンタとどっちが良い?」「ビンタはいや!」と聞こえてきました。私がみている限り、その子どもはいたずらをする訳でもなく、騒いでいる訳でもなく、子どもらしく遊んでいるだけにみえたのですが、お母さんには周りの人の迷惑になるからおとなしくしてほしいと思ったのでしょうか。さて、子育てとは、親が子どもを育てているのか、親が子どもと一緒に育っているのか、親が子どもに教えられながら育っているのか、いろいろな捉え方があると思います。

このお母さんは、×ではだめだよ○になろうね。

我が子の×ばかりが見えているんですね。○がみえていないんですね。子どもはお母さんと楽しくお話をしながら電車に乗りたかったんだと私は思います。

楽しいねとおはなしをしながら過ごしたかったのだと思います。

親子の仲睦まじい話し声は決して騒音ではないですね。子どものことばに寄り添いながら子どものことばにうなずきながらそのままに受け入れる姿には×は見えないですね。

子どもの存在そのものが○になっていますね。

迷惑かけずにはおれない私が迷惑かけるんじゃないと人に言っても説得力ありませんね。          

    なんまんだぶ

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