2018年7月

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 先日受講していた研修会で、隣に仲のいい後輩が座っていた時のこと。主催者が用意してくださった飲み物を紙コップに注ぎ自席に持っていき飲んでいた。後ろの席に座った友達から飴玉をいただいた。大きな飴玉で美味しそうだったので普段はあまり飴玉など食べないのだが、その時は珍しく舐めたみた。美味しかった。さて、その日の研修も終わり、会場を出る際に自分の座っていた席を片付けなければならい。紙コップに飴玉の包み紙を入れ、隣の後輩のコップに重ねて、おそらくその時の私の顔は少し笑いながら意地悪そうな顔をしていただろうなと思います。「じゃ、これ片付けといて」と、後輩は「えぇ、どうゆうことですか、参ったなぁ」と笑いながら「わかりました」と了解してくれた。知り合いであればこその悪ふざけでした。できた後輩はちゃんと笑顔で、後ろの席の友達の紙コップに重ねてゴミを押し付けていました。仲良しの友達であれば許される範囲のおふざけをしたところで、私はある出来事を思い出したので、その後輩に私の体験を話してあげた。それはもう二十年以上前になるだろうか。私の髪も黒々としていた若い頃の話です。会議で札幌へ向かう列車の中での事、もうすぐ札幌に到着するので前の座席の物入れに入れていたゴミを片付けようとした時、隣に座っていたご婦人が私のゴミを取り、自身のゴミを入れた袋にまとめてくれるではないか。なんとありがたい人だ。申し訳ないなと思ったその時、「はい、捨てといてね」私の想定の中には入っていない言葉と行動だったので、その言葉の意味を理解するのにしばし時間が必要だった。えっ、どういう事?どうすればいいの?と思っているうちに列車は札幌に到着、そのおばさんは降りて行きました。その当時流行っていたこれがオバタリアンかと思ったものでした。してあげるどころの話しではありません。ふざけんなよの世界であります。結果としてその場にゴミを置いて行く訳にもいかないので私はゴミを捨てました。決して捨ててあげた訳ではありませんし、捨てさせていただいた訳でもありません。その後輩も笑い話として楽しく聞いてくれました。その時に私がいだいた感情を思い返しながら、『今月の法語』を改めてよく考えてみると、「してあげる」という上から目線の立場と「させていただく」という謙虚な姿勢について言わんとされているという事は充分理解できるんですが、してあげる事すら出来ていない私が、何を書けば良いのだろうかとしばらく考え込んでしまいました。喜んであなたのゴミを捨ててあげます。捨てさせていただきますよ。私が捨てますからどうぞ置いて行ってください。と言えなかった。そう思う事すら出来なかった私です。二十年経った今でも言えないですね。結局『今月の法語』を読んでみて「してあげる世界」すら持ち合わせていなかった私です。という事を思い出し、どこまでも高飛車な私を再認識させていただいた『今月の法語』でした。   なんまんだぶ

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