2021年1月

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 来月久しぶりに結婚式に出席の予定があります。昨年の3月に挙式披露宴をする予定だったのがコロナの影響で来月になった方の結婚式です。万が一、今回挙式できなければ披露宴は行わないと決めているようです。三度目はないと言うことなのでなんとか開催できればいいなと願っています。昨年は人生初の仲人として出席するはずの結婚式も中止になりました。昨年は何もかも縮小、延期、中止の年でした。ワクチン接種ができるようになっても、マスクや手洗い消毒といった習慣はしばらく続くのでしょう。マスクを忘れてスーパーへ買い物に行き、慌てて車にマスクを取りに戻ることもしばしば。最近では、かばんや車に新しいマスクを常備するのが当たり前になりました。目に見えないウィルスへの対応は大変ですね。最近のお葬式もお通夜葬儀の開始時間に合わせてではなく随時お焼香においでくださいと言った密集状態を避ける配慮がされています。最期のお別れに制限されるというのは寂しいことですね。きちんとお世話になった方々にお礼とお別れを言って往きたいと思います。昨年実家の父が亡くなりました。本人は自分の体の状態をわかっていたように思いますが、周りにいるものにはわかりませんでした。高熱が続き入院してわずか一週間の出来事でした。コロナ禍で面会も思うようにできず、最期は誰も立ち会うことは出来ませんでした。人のいのちの儚さを身をもって教えてくれました。父は昔から短歌を詠む人でした。晩年は詠んだ歌を新聞広告の裏に書き留めて、ノートに書き溜めては、本願寺機関誌の「大乗」に投稿するのが楽しみでライフワークになっていました。また、毎年の本願寺御正忌報恩講での御法楽献詠歌に応募しておりました。そんな父の生き様を顧みたとき、父が亡くなったと夜中に連絡を受け、翌朝の飛行機で実家へ向かいました。航空会社の都合で予約をした飛行機の一本前の便に変更になり、コードシェア便のエアドゥに乗る事になりました。機内の音楽サービスで石原裕次郎の「わが人生に悔いはなし」が流れていました。その曲を聴きながら、生前の父の生き様を思い返し、詠んだ短歌やその短歌をつくる日々の暮らしぶりから察すると、わが人生に悔いはなしという言葉が、ぴったりだなと聞いていました。その日、当初予約の便に乗れば聞くことのなかった石原裕次郎の曲。私は悔いのない人生を送れるだろうか。送りたいな。送るにはどうすればいいんだろうか。やり残した事はない、思い残す事がない、一日一日を大切に生きる。今月の法語『きょうは今日という作品を仕上げさせていただく日』一日一日の過ごし方、生き方が問われてきます。誰の人生でもない自分の今日を、自分らしく生かさせていただく生き方が、そのまま私の今日の生き様です。生き様という作品を今日の中できちんと仕上げていかなければ。
     なんまんだぶ
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