2021年9月

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 今年7月『世界文化遺産』に「北海道・北東北の縄文遺跡群」が登録されました。隣町、伊達市の北黄金にある北黄金貝塚も含まれています。車で15分くらいのところが世界遺産に登録されました。一万年前の人々の暮らしぶりを感じることができる場所がすぐそばにあるんです。縄文時代の人々の暮らしぶりはどんなんだったんだろう。今度ゆっくり見学してみたい。あまり知られていませんが、室蘭市の埋蔵文化財包蔵地分布図を見ると「本輪西遺跡」と出てきます。本輪西にも貝塚の遺跡は存在しています。本輪西駅前から急な坂になって登っていくあたりです。海や山が近くにある場所なら人の暮らしは存在したであろうと想像できます。つまり、そこに暮らした形跡は必ず残ります。ですから本輪西に貝塚があった事は容易に想像できます。いつかは本輪西遺跡もきちんと発掘、研究されて世界遺産に登録されないだろうか。一昔前には貝塚は食べた後の貝殻などを捨てる場所。ゴミ捨て場としてどんどん貝殻などが堆積して塚になったと考えられていたようです。しかし、今では食べ物をいただいた事への感謝の気持ちで積み上げられて丘や塚のようになったとも言われています。ゴミ捨て場と考えるのか、埋葬の場と考えるのかによって全く違った場所になります。縄文時代に北海道で暮らしていた人はアイヌの方々の先祖という事になるでしょう。アイヌ民族には土地や物を個人の財産として所有するという概念はなかったそうです。数日狩りに出かける時は、家を訪ねてきた人用に食べ物を置いて出掛けたそうです。誰かが道に迷っても困らないように家に泊まって食事ができる様にしていたそうです。我が家とか、自分の財産といった概念を持たず、みんなで分かち合うという考え方は、明治以降北海道に入植してきた人々には理解できない考え方であった事だと思います。原生林を伐採し、原野を開拓し、作物を育てる大地を開墾し、苦労して苦労してようやく作物を栽培収穫できる様にされた苦労を思うと、想像し難い苦労の代償として得た物であるという考え方も理解できます。みんなで必要なものを必要な分だけ分け合いながら暮らしていく。いま世界のあちらこちらで人権侵害が叫ばれ実際に行われています。他人の物を奪い、人としての権利や自由までも奪う行為の根底には、自分が支配、所有するという決して消える事のない人間の欲望が働いています。あれもこれも自分のものにしたいという欲望が争い奪い合いを生み出します。全てものがみんなの物だと受け止める事ができるならば、奪い合う事なくいつまでも使い続ける事ができるでしょう。みんなのものと見る事ができる様になるためには、私の物を共有するんじゃなくて、全ては仏さまからの「いただきもの」「さずかりもの」『青いそらも月も 星も花も みんな みんな 仏さまの お恵み』です。   なんまんだぶ
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