2022年04月のことば

「あたりまえ」をみんななぜ喜ばないのでしょう

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 4月といえば新生活の始まり新しい出会いの季節ですね。希望を胸に一歩を踏み出す時期です。出会いの季節の花といえば桜でしょうかね。入学式の定番でしたが、地球温暖化のせいか桜の開花時期が毎年早くなっているように感じませんか。先月中頃には本州で開花宣言。卒業式のイメージの花になってきませんかね。出遇いのイメージから別れのイメージの花に変わっていかないだろうかと気にかかります。良寛さんの辞世の句と言われている「散る桜 残る桜も 散る桜」一切の生きとし生けるものは全て移り変わり滅んでいくという真理をうたわれています。また、「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」親鸞聖人9歳の時仏門に入るためのお得度を受けられようとしましたが、夜遅かったため明日にしようとなった時に詠まれたという句です。ご自分の命を桜の花にかさねて詠まれています。どんなに元気な人であっても夜中に嵐が吹き荒れたならばいとも簡単に桜の花が散ってしまうように終わってしまうはかない命を、いただきながら生きている。だからこそ今を大切に精一杯生きることの大切さを説かれてます。ロシアがウクライナに侵攻してウクライナの多くの人々が、いのちの危険に晒され、亡くなっています。ロシア兵も犠牲になっています。誰も笑顔になることのない戦争がどうして無くならないのだろうか。どうして人類は繰り返し繰り返し戦争を起こしているのでしょうか。ウクライナの幼い子にインタビューしているニュースで見ました。「いま何がしたいですか?」の問いかけに学校へ上がる前のような幼い子どもの口から出た言葉は「普通の暮らしがしたい」という答えでした。温かい家の中で、家族と一緒に食卓を囲み食事をいただき、温かい布団に包まれて眠りにつくという何気ない日常を取り戻したいというんです。戦争は何もかも奪い去ってしまうんですね。私のいる場所から遠く離れた場所の出来事では済まされない話です。みんなが笑顔になれる世界の実現へ私にできることを行っていきたい。衣食住が不自由なく揃っていて当たり前。何者にも脅かされない生活を送れて当たり前。生きる権利が保障されている事が当たり前の社会。そう思って暮らしてはいますが、実はそれらが守られる事は大変なことなんですね。当然あるべきものが無い、当然守られるべき事が守られない。それらが満たされていない中に身を置いた時にはじめて当たり前の意味を身をもって実感するんでしょう。今までの私は、明日の朝も目が覚めるといいな。どうか朝を迎えられますようにと願いながら夜眠りについたことはありません。恥ずかしながら今日もご飯が食べられたなぁと深く感謝していますと毎日毎食思っていますと自信を持っては言えません。明日も目が覚める事は当たり前と持っていたこのいのちもいつまであるんだろうか。明日も生きて当たり前のいのちなどどこにも有りませんでした。この年になって親鸞聖人の詠まれた詩や良寛和尚の辞世の句が少しだけですが沁みてくるようになった気がします。気がしているだけかもしれませんが、昨日よりは今日少しだけでも味わえるようになりたいと思います。当たり前がなかったこの世に出遇えた春四月でした。なんまんだぶ

今月のことばについて

「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。

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