2021年11月のことば

家庭はいのちの灯を ともしあうところ

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 先日NHKの「ブラタモリ」で放送技術研究所と放送博物館の2箇所を取り上げて紹介していました。1925年にラジオ放送がはじまって現代まで、そして未来のテレビなどが紹介されていました。タモリさんの家にテレビがやってきた時の思い出話が面白かった。自宅にテレビがやって来るのは一大イベントだったと。その時に将来自分がテレビに出る仕事をするとは思いもしなかったと言っていました。確かにテレビ創成期にその仕事に関わるとはなかなか想像できないですよね。テレビ放送と共に生きてきたタモリさんの人生も、放送の歴史的な資料ですね。家電品が出始めた当時の経済成長期(1950年代)には、冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビが三種の神器と言われ、高度経済成長期になるとテレビはカラーにそして自動車、クーラーへと変わって行きました。各家庭でテレビを保有するようになったことで、「家族団欒」の時間ができたと言われます。テレビは各家庭に一台しか無い訳ですからテレビを見ようとすれば居間に集まり同じ番組を観る。現代はテレビを観たければそれぞれ観られるだけのテレビが有り、テレビじゃなくてもスマホでほとんどの事は足りる。家族の会話がなくても必要な用件はメッセージのやり取りで完了できる。顔を合わせなくても、会話をしなくても済んでしまう現代。子どもの頃のテレビのチャンネル権争いを思い出した。末っ子だった私は泣き落としが得意技でした。懐かしい思い出です。見たい番組を観るためには居間にいなければ見られないし、話し合いで相手を説得しなければならない。お互いを思いやる事が出来なければ喧嘩ばかりの家族になってしまいます。でもそんな事はなかった。譲り合いながら暮らしていましたね。しかし、末っ子は例外だったかも。今思い返せば懐かしい良い思い出です。以前、「家」と「家庭」の違いを教わった事があります。「家」も「家庭」も一緒じゃないかと思っていました。家は建物のことかな、家庭は庭付き一軒家かなぐらいであまり気にした事がありませんでしたがよく考えてみると、なぜ家と家庭と使い分けるのだろうか。漢字の成り立ちで言うと「家」は、屋根の下に豚がいることをあらわしたものだそうです。「家庭」の庭はまっすぐ地ならしした道のことで、すじ道のある規律ある家をあらわしているんだそうです。家庭に中で色々な世の中の決まりを学ぶ。躾をする。家族で顔を合わせて団欒をする中で決まりを学ぶ。大切な時間、空間だったんですね。現代は家族団欒がなくなりつつあります。社会の中で生きていくためには、人間として最低身につけておくべき作法があります。それは幼い時からの家庭教育において学ぶべきことでしょう。人間は人間として生まれたから人間になるのではないです。人間として育つためには家庭における家族の存在。家族のいのちの灯をともしあう中で育てられていくんですね。さて私の住居は「家」だろうか「家庭」だろうか。どっちだろう。   なんまんだぶ
今月のことばについて

「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。

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