若い頃に比べて少しだけだが気が長くなったような気がしています。多少の細かい事は気にならなくなったのか、気にしなくなったのかわかりませんが、まあいいかと思えるようになった気がします。何がなんでの譲れないというほどの事もないし、押し通してもっといい結果が出るかもしれない芽をつぶす事は避けた方がいいだろう。いつもいつも自分が正しいとは限らない。そう思えるようになりました。心に余裕ができてきたのかもしれない。それとも自分に自信が持てなくなってきたのだろうか。歳をとると丸くなるというがそれだろうか。確かに、頭に血が上り腹を立てることも少なくなった。「まぁいいか」「ほう、そういうことか」「へぇ、そうも言えるか」などなど。今まで自分がなんとかしなければ、自分がやらなければならいことなんだと思って行動していたことも、自分でなければならないという事でもなかったんだ。自分じゃなきゃという慢心がありましたね。私は出来るんだ、任せておけというくらいの傲慢な心や態度だったんだろうなと恥ずかしささえ感じます。若かりし頃の私に接してくださった皆さんお恥ずかしい限りです。申し訳なかったです。ご容赦下さい。先日坊守が骨折をして入院しました。しばらく入院が続くと思われます。いままで寺の中の事はほとんど任せっきりにしておりました。本堂のお花を生けた事は一回もありません。お花の免許を持っている坊守まかせでした。会計事務も任せっきりでした。そんな状況の中で坊守がしばらくいなくなりましたのでさあ大変です。副住職と若坊守と協力しながら問題解決をしていきます。目の前の課題をひとつずつクリアして覚える事で、これでもう大丈夫と少しずつ安心できるようになりました。と言っても私は若いふたりにお任せです。ふたりのおかげでどうにか平穏な日々を保てています。若い頃なら先頭に立ってさぁ大変だ、みんなあれしろこれしろと指示ばかりして空回りしていた事でしょう。連れ合いが骨折をして緊急入院をしてるにもかかわらず平穏な気持ちを保っているのはどうしてかなと考えると、若い頃の俺がなんとかしなければという気持ちから、迷惑かけるね、申し訳ないねと思えるようになったことが大きいのかなと思います。なぜできないんだと言われれば腹をたて、じゃぁ、お前がやれよと思っていた私が、少しはおかげさまを知ることができたかなと思います。おかげさまを教えてくださった仏さま。目に見えないものに支えられていることを教え、思慮が浅いでたらめな私である事を仏様が教えてくださっていました。嘘が嘘と見えるように真実まことの仏さまのお恵みです。おかげさまと感謝するんですが、思慮の足りない言動はなかなか治らないですね。坊守が退院してきたらまた元通り? なんまんだぶ
- 2022年
- 2021年
- 2020年
- 2019年
- 2018年
- 2017年
- 2016年
- 2015年
- 2014年
- 2013年
- 2012年
- 2011年