「これは僕のぉ、取っちゃだめぇ」「いやだぁ、それはわたしの」「ねぇ、貸して」「いやだ、まだ遊ぶんだから」保育所の子ども達の日常の中でよく聞かれる会話です。ぼくのわたしのと言って自己主張をします。所有権の主張です。人間は幼い時から物を所有する事、独占するという行為を繰り返してきているんじゃ無いでしょうか。大人になるにつれて理性で感情を抑えて対面を保てるように成長していきますが、どうしても譲れない時は、おうおうにしてあるものです。「もう、あなたとは遊ばない」「一緒に遊んであげない」「わかったよ覚えてろよ」「絶対後悔させてやるからな」少し大きくなってくると自己が確立し、相手に反省を促すような態度を取るようになってきます。大人同士になると、社会的な地位や財力などから圧倒的に相手を抑え込んだり、掌握するといた行為までするようになっていきます。悲しい愚かな事だけれど、人は幼い時から独占するとか、掌握する事で自己を誇示したり、所有することで心が満たされるんじゃないでしょうか。ロシアがウクライナに侵攻しました。8年前にはクリミア半島に侵攻しました。「ここがロシアだったらいいなという人がたくさんいるからロシアにしよう」「だめだよ。ここはウクライナなんだから」軍事力や財力で優っているロシアがクリミアをロシアだと言いました。周りで見ていた人たちは、「まぁロシアがそう言うんならロシアかもね。クリミアには悪いけれど、僕の邪魔をしないと言う事ならそれでいいよ」「クリミアだけじゃなくてその周りにもロシアだったらいいなと言う人がまだいるんだよなぁ。だから、もう少しロシアを拡げようっと」「反対の人はいますか?いませんね?」「反対する人には、天然ガスを売りません」「そば粉も売りません」お友達とは仲良くするけれど、いちいち文句言ってくる人とは付き合いません。ガスが欲しければ僕のことを認めなさい。あなたとは違う考え方、違う生き方をしているし、違う存在なんですと言っているかのような行動です。人は子どもから大人になっても本質は変わらない。国は人が集まって国になるんだから国同士も同じ事だと思います。違うことで自己を確立している。あなたとわたしは違う。違う存在がお互いを受け止め認め合うことが出来れば、奪い合う事はせず分かち合うことができるはずなのに、社会の中では自己主張をして他者を受け入れる事がなかなか難しい。しかし、自分の家族で考えてみると自然と許しあう中で暮らすことができていませんか。自分の家はやすらぎの場所では無いでしょうか。自分の家にいる時に緊張しっぱなしで気が休まらないという方はいないでしょう。あって当たり前のやすらぎの場所「自分の家」も、自己主張しっぱなしの人と人とが集まっている場所なのに、それが家族になり家をつくってやすらぎの場所になるですね。これってすごい事じゃないですか。家族だと許し合う事ができているという事でしょう。そんなスペースの「自分の家」って只事でない所ですよ。こんなわたしにやすらぎを与えてくれる場所「自分の家」は、ほんとうに只事ではない所です。世界全体がひとつになって、家族のように許し合える世界になれ、そこに気づけよと言われているような気がする昨今の出来事です。 なんまんだぶ
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