お寺では毎年大晦日の午後11時から除夜の鐘付きにお見えになる方々のお世話をしてくださる方と一緒に除夜会をお勤めします。お勤め後の11時45分から鐘をつきはじめます。鐘が鳴る中で日付を超えて新しい年を迎えます。鐘をつき終えると引き続き新年最初のお勤めをするのが大晦日から元旦への過ごし方です。昨年中もいろいろな方々にお世話になった一年だったな。いろんな出遇いをさせていただきながら生かさせていただいた一年だったなと振り返ります。新しい年はどんな方とどんな出遇いがあるだろうかと思いながら2022(令和4)年も始まりました。さて、今年はどんな年になるでしょうか。どんな年にしたいですか。そう言えば翌年の事を「明年」も言いますね。翌日も「明日」ですね。次に来る年や日は、明るくあって欲しいという思いからなんでしょうかね。「明るい日」と言うのは世の中の景気が良くて、人々が活発に精力的に躍動している世の中を意味する場合と、自身の気力も体力も充実して思わず笑顔が溢れるくらいの時に翌日を表現すると「明るい日」と言えるんだろうと思います。世の中全体を見て感じた捉え方と、自分自身における捉え方のふた通りがあるように思います。昨年末、実業家の前澤雄作さんが国際宇宙ステーションに行かれましたが、出発前日の記者会見で「ワクワク、ドキドキしておりまして、遠足を控える小学生になった気持ちです」と言われました。この心境はまさに「明るい日」を待ち侘びている心持ちではないでしょうか。子どもの頃からの願いが叶うわけですから「明るい日」でしょう。しかし、多くの人は宇宙に行ける訳でもありませんし、みんなが宇宙に行きたい訳でもありません。わたしももう少し安全に行けるようになって誰でも気軽に行けるようになったら行っても良いかなと思います。なにしろかかる費用が莫大すぎて行きたくても行けません。願いが叶えば「明るい日」叶わなければ暗い日だろうか。全ての人が明るい日だねと思える「明るい日」とはどんな日でしょう。ここ2年間世界中でコロナウィルスが蔓延して人々は疲弊しきったんではないでしょうか。しかし、コロナ対策を講じる事で忙しくなり大変だったけれど経済的には安定したという方も中にはおられます。忙しかった人もいたけれど、ひとりひとりの受け止め方を全体的に見て判断すると世の中全般で見たらどちらかと言えば暗い、沈んでいるといった言い方になるんでしょう。「明るい日」は、社会全体の状況や周りに左右されて受け止めることではなく。自分自身の中に活力が湧いてくるとか、前向きに物事を捉えることができる時に「明るい日」と言える事でしょう。明るく前向きになるために大切な事は、私という存在を認められる事。私という存在が必要とされている事。私の存在が必要とされているなという充実感がある事。そして、あなたはあなたのままでいい。日々の暮らしの中でそのままの私を必要としてくれている社会。そんな社会の中でこそ「明るい日」を迎える事が出来るのではないでしょうか。全ての人が大切な存在。私が大切な存在。という社会であれば、みんなが笑顔でいられる明るい社会になると思います。 なんまんだぶ
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