2019年05月のことば

生きているものを 存分に伸ばしてくれる 光と慈雨

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 人の感覚というのは個人差があるのでなんとも言えませんが、今年の冬は雪が少なかったような気がしますがいかがでしょうか。お参りに伺って「今日は暖かいですね」というと、話を聞いてくれているのかいないのか「そう、今日も寒いねぇ」と返ってきたりする。そんな時はあえて言い返さず「そうですねぇ」と答えるようにしているが、人の感覚なんて人それぞれですね。最近外国からの旅行者が増えていますが、冬でもTシャツ姿の若者がいたりします。寒くないんだろうかと思ってしまいます。感覚の違いってすごいですね。子どもの頃から親に「そんな薄着してたら風邪ひくよ」とよく言われたものです。しかし、乾布摩擦などは寒い冬に上半身裸になって体をゴシゴシ鍛えたりします。環境によって人はいかようにでも対応し順応していけるんでしょうね。五月になれば北海道でも作物の栽培が始まる季節になってきます。保育所の子どもたちは毎年洞爺湖町の財田まで稲作体験に通っています。お米をおにぎりにして食べるまでを教えてもらいながら自分の五感で体験します。普段食卓の上に置かれている一膳の茶碗によそわれたご飯が、どれだけの人がどれほどの手をかけ栽培し、一体いくつの工程を経て口にすることができるのか。現代社会は見えにくい世の中になってしまったので、幼い時期にその大変さや有り難さに気づいてほしいと願っています。ご飯は炊飯器で炊けば出来上がり。お米はスーパーで買ってくればいいだけ。欲しいものはなんでも簡単に手に入る時代になり、消費者は生産者の苦労が見えにくくなってきました。目の前のステーキを見ても牛の命が見えてこないように現代社会は「生産」と「消費」が全く別物になってしまっています。さて、見えてこない世の中といえば、北海道はこれから、新緑の眩しい季節をむかえますが、その木々や草花が育つには、空気、水、大地の豊かさ、太陽の温もりなど様々な要素が必要になります。これらの働きがあってこそ北海道の新緑の美しさがあります。「光と慈雨」生きているものを存分に伸ばしてくれるもの。生きている私を存分に伸ばしてくれる「光と慈雨」とはなんだろうか。真っ暗闇でも光がさせば周りが見えてきます。私にとっての光とは、私を暗闇から解放してくれる光であると同時に、自分の都合に合わないことに不平不満を口にする私の愚かな姿を照らし出してくれます。暗闇の中で迷い悩み続ける私の闇を引き裂く明かりとは、迷いを迷いと分からせてくれるものであり、迷いとして認識させてくれる迷っていないものであり真実であり真理、仏さまの智慧です。慈しみの雨とは、殺伐とした乾燥した私の心に潤いを与えてくれるもの。乾燥してひび割れた大地のような私の心に、水がヒビの中に浸透して、すき間を埋め、しっとりとした大地に再生させてくれる。水がなければ草木も人も生きていく事は出来ません。暗闇に迷い、もがき続ける愚かな私の姿を照らし出し、カサカサの心しか持ち得ていないこの私を、乾燥はし続けるけれどもそのままに潤わせてくれる慈しみの心。お粗末なままではあるけれど、少しずつではあるけれどお粗末なことに気づけた気がする生き方に。「美味い」と言う前に「いのちをいただきます」と言えるように伸ばしていただこう。  なんまんだぶ

今月のことばについて

「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。

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