2019年03月のことば

「あたりまえ」をみんな なぜ喜ばないのでしょう

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 最近のテレビを見ていると衝撃的映像とか、決定的瞬間とか、これまでのテレビではなかなか見ることができなかった映像をよく見るようになってきました。これはスマホとインターネット環境の普及が大きく影響しているでしょう。たまたま現場に居合わせてスマホの動画撮影機能を使って簡単に素早く撮影し、データ通信機能を使ってテレビ局の投稿サイトにアップロードすれば完了。ほぼリアルタイムで世界中の人が見ることができる世の中になってきました。毎日の出来事を、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)を使って世界中に公開する事が出来るようになり、多くの人が利用しているのではないでしょうか。SNSにアップして多くの人から「いいね」をもらうというのがアップする人のよろこびになっているようです。コンビニや飲食店での迷惑動画などというのもニュースで聞きます。これも「いいね」欲しさの行動なのでしょうか。世間の常識とは違う非常識なことをしている。人とはちょっと違った突拍子も無いことをしてみる。その行為について人からすごい事をやっているねという目で見られたい。人とは違う事にある種の喜びのようなものを感じているのでしょうか。私には到底理解できませんがどうしてそれがいいのでしょうかね。何故、人は周りから注目されたい。注目されているという刺激を受けたい。非常識を行なっているというスリルを体験したい。ほどよい緊張感を味わいたいと思ってしまうのでしょうか。毎日が何の変化もなく退屈に過ぎていく事にはどうして感動しないのでしょうか。確かにちょっと冷静に私自身を振り返ってみると、SNSにアップしていないだけで、お酒の席などではお調子者と言われても仕方の無いような事もしていますね。おだてられるとすぐにその気にもなってしまいます。その度合いの差と世間への拡がり方の違いだけなのかもしれません。前の迷惑動画も「そんな事をしてはいけないのは、あたりまえじゃないか」「やっていい事といけない事の判断ぐらい出来てあたりまえじゃないか。」と思いますが「あたりまえ」が出来ていなかったのは私だったんですね。出来ていてあたりまえだと思っていた事も出来かねていたのが、私の本当の姿だったのかもしれない。迷惑動画を見れば簡単に非難し、あんな非常識な事をする人の気が知れないくらいに思っているのが私ですが、根っこの部分では迷惑動画の人と何も変わりません。そんな自分だけは常識を持った人、知識人と勝手に思い込んでいる私だという事に気付けば、実はたまたま批判の対象になっていなかっただけです。毎日たいして変わらない世の中の日々の出来事も、実は変わらない事のすごさを見抜くことが出来ていなかっただけなんですね。水道の蛇口をひねれば水が出てきてあたりまえ。スーパーに行けば食べたい物を食べたいだけ買えてあたりまえ。「お腹が空いた」と言えばご飯が出て来てあたりまえ。いつまでも健康でいられてあたりまえ。いつまでも生きていられて当たり前。何でもかんでも全ての事がいつも通りであたりまえ。しかし、本当にあたりまえなんだろうか。歳もとるし、病も患う、明日目が覚めないかも知れない。あたりまえだと思っていた事の本質を見抜くことが出来るようになれば、あたりまえなんて何ひとつとしてあり得ない事なんだと知れてきます。人も物も私の周り全ての事は、実は大変な事ばかりだったんですね。そうなるといつも私のそばにいてくれる人に、いつもそばにいてくれてありがとうと。あたりまえの毎日をよろこび感謝できる人になりたいと思います。
ちょっとだけでも。
    なんまんだぶ
今月のことばについて

「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。

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