2018年08月のことば

願われていた私 赦してもらって生きていた私

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 来年5月の新天皇への交代に伴い、元号も平成から新しい元号に変わることは皆さんもよく知っておられる事だろう。そんな出来事があるときには「恩赦」が行われる事がある。知っているようでよくわからない「恩赦」について、オウム真理教事件による死刑囚の刑執行が行われたニュースを見て、死刑も恩赦の対象になるんだろうかと気になったのでちょっと調べてみました。「恩赦」については、憲法第七十三条7項に「大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。」と書かれていました。内閣が決定をして天皇の国事行為として認証されるシステムになっているそうです。公職選挙法違反者の公民権回復などが主な恩赦の対象のようです。恩赦の『赦』という字は『ゆるす』と読みます。「ゆるす」とパソコンに入力すると『許す、赦す、聴す』と出てきます。もっと探すと「釋す」という字も出てきます。お釈迦様の「釋」も、ゆるす、ときほぐすという意味があるんだそうです。『ゆるす』という漢字が色々あるという事は、それぞれに意味の違いがあるということでしょう。「許」は、聞き入れるとか、やれそうである、資格があると認めるといった意味に使われます。許可をするといった使い方がそうですね。「赦」は、大目に見る、罪やあやまちをとがめないとあります。ゆるされかたが違うんですね。今月の法語には「願われていた私 赦してもらって生きていた私」とあります。「ゆるす」が「赦す」と書かれていますから、大目に見る、罪やあやまちをとがめないという意味の「ゆるす」になりますね。もしこれが「許す」と書かれていたならば、ちょっと怖いことになりませんか。許可されて生まれてきた、生きることを許可されたので生きている私となります。誰に許可されて生きていたんだろう。親かな?親戚かな?友達かな?国かな?そんな許可なんかもらって生まれてきた訳でも生きてきた訳でも有りません。これでは現実とかけ離れた解釈になりますね。自動販売機でジュースを買おうとした時、1円でも足りなければ買う事は出来ません。しかし、なじみのお店だと「いいよ、おまけしとくよ」となりませんか。決められた条件を全て満たさなけれ認められない。規則、法則を守らなければ許されない世の中と、規則には乗っとるけれどもお互い様だから少々の事は大目に見るよという世の中。どちらが暮らしやすいですかね。人と人の繋がりの中で、お互いに相手を認めて、相手の存在をそのままに受け入れて、また自分の存在をそのままに受け入れてもらえる世の中って暮らしやすいですよね。赦されて生きている私だからこそ、私につながる全ての人を赦せるようになりたい。そうでなければ赦して下さっている皆さんに申し訳ないですね。でもそれが難しい、どうして、なんでそうなるの、それはダメでしょうと言ってしまう私です。大目に見れないお前だから、赦せる私になれるよう仏様に願われていたんですね。
    なんまんだぶ
今月のことばについて

「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。

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