2018年04月のことば

生きる喜びにめざめさせてくださるのが ほとけさま

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 親鸞聖人が亡くなられて後に、聖人の言われていた事と異なる事を言い出す方々が現れたことを嘆かれて、お弟子の唯円房が書き記されたと言われている歎異抄に『煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつて、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします(あらゆる煩悩をそなえて迷いの心しか持ち得ていない私であり、この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変わる世界であって、世の中の事は、全てうそいつわりであり、空しいものであり、真実といえるものは何ひとつない。ただ念仏だけが真実である)』とあります。日頃、私が生きていて良かった、人生って素敵だなと感じる生きる喜びは、今月の法語に書かれた〈生きる喜び〉と同じ喜びだろうか。私たちの日頃感じている生きる喜びとは、煩悩具足の凡夫の喜びでありましょう。煩悩具足の凡夫が火が燃え盛る家の中で抱く喜びなど、はかなく燃え尽くされていく喜びでしかないでしょう。「今日も一日健康に過ごせました。あぁよかったよかった」翌日、病に倒れて寝込んでしまうと、昨日の喜びなどどこかに吹っ飛んでしまいます。仕事が順調に進み安定した収益を上げていれば、充実した毎日を過ごす事が出来るでしょう。しかし、ひとたび失敗して大変な状態に陥れば生きる苦しみばかりを感じるようになるでしょう。《健康》や《お金》など私たちが日頃大事だと思っているものの価値観を通して生きる喜びを判断すると、いずれどこかで喜びを感じることができない世界に必ず行き着きます。そして、絶望の淵に叩き落とされてしまうでしょう。健康であり続けることは出来ません。近頃、「健康寿命」という言葉が出て来たように、病気になってはいけないのであります。健康でなければ長生きしなくていいんであります。体の自由が効いて、お金に不自由せずに他の人よりも長く生きる事が、人生の生きる喜びであったならば、それはいとも簡単に消えていくはかない嘘偽りのものでしかありません。人はその偽物の喜びが消えた時、絶望の中を生きていかなければなりません。もっと大事なものに目覚めなければ虚しくはかない人生を過ごして終えてしまいます。本当に大事なものは、健康でも長生きでもお金でもありません。これらが揃ったからといって死なないわけではないし、お金が貯まったといって満足するかと言えば決して満足しない。欲望は死の間際まで続き、終わることのない苦しみにしかなりません。しかし、その嘘偽りの姿が本当の自分の姿だと気付くことができれば、この世があっという間に移り変わっていく世界なんだ。この世は無常の世界なんだという真理に目覚めることが出来たならば、煩悩を抱えたこの身から煩悩が消えるわけではないけれども、煩悩を煩悩であると目覚めさせてくれる真実が私に届いたと喜びが湧いてくるんじゃないですか。嘘が嘘とわかるのは、嘘ではないもの、すなわち真実に出遇うことによってのみ嘘が嘘とわかるんです。嘘が嘘とわかったら真実に出遇っているんです。しかし、これがなかなかできないんですね。私は迷っていないと思うから嘘じゃないと思うから。ほんと嘘じゃないって!
     なんまんだぶ
今月のことばについて

「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。

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