2017年09月のことば

拝まないときも拝まれている子どもが親のねがいの中に生きているように

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 毎年お盆が過ぎると少し時間に余裕ができるので、今までの親不孝を詫びる気持ちの表現として実家の両親を訪ねることにしています。今年も連れ合いと一緒に先月行ってきました。私一人で行ってもいいのですが連れ合いが一緒に行ってくれるのは夫婦仲良くやっていますよと言葉ではなく態度で表現できて理屈抜きに親も安心してくれているだろうと思います。有り難いことです。でも直接言葉にして言ったことは有りません。なかなか口にするのは難しいですね。両親の様子うかがいに行ったと言っても、空港からまっすぐ同級生の飲み会に顔を出しに行くし、実家には一泊しかしないし、ついでに東京へ寄り道をして大学に通っている娘が春に引越しをしたというので新しい住まいがどんなところなのか気になっていたので見て来たりする。親孝行と言いながらも実は自分の都合を優先して親孝行をしているフリをしてきたのかもしれません。申し訳ないことでした。それでも親はニコニコ迎えてくれました。私の勝手な見方かもしれませんが、せわしい一泊だけの滞在でも喜んでくれたように見えました。親とは有り難いな、いつもいつも見ていてくれているんだなと改めて感じます。さてさて、それでは親としての私はどうだろうか。息子は四年できちんと大学を卒業し、経済的にも親に負担をかけることはありませんでした。学生時代はアルバイトも一生懸命していました。娘もいま就職に関連するようなアルバイトを頑張っています。二人とも堅実な子どもたちです。留年することなく就職が決まり無事に卒業できればそれまでの一年半暮らすであろう部屋を見て来ました。東京の部屋は狭いですね。もっと広い部屋は家賃が高くなるんですね。すでに大学の三年生でも就職に向けた準備は始まっているようで、インターンシップの登録などもしているようです。どんな仕事をしたいのか、どんな仕事に就くのか気になるところですが、私が変わってやれることでもありませんし、娘自身のことですから自分のやりたい仕事を目指してできるかぎりの就職活動をしてほしいものです。親としての願いです。頑張って勉強して好きな仕事につければ素敵な事だと親としては思います。そして娘の願いが叶って希望通りの仕事につければすべて良しです。そこで私はホッとしてこう考えるんです。これで親として子供の学費の心配も仕送りも終わるな。一安心だとなるんでありましょう。親は親として子供の就職を勝手に心配をしているんですが、よくよく考えてみると、私のお粗末な心は、本当に子供の就職を一番に心配しているのでは無いように思えてきます。就職が決まってホッとする。何にホッとしているかと考えてみると、今までほどは子どもにお金がかからなくなり、少し金銭的な余裕が生まれるかもしれないぞと、心の奥底で自分の利益を考えているではありませんか。なんと愚かでお粗末な私なんでしょう。今月の法語の「拝まないときも拝まれている」とありますが、拝んでいるのは仏さまです。拝まれているのは私です。親とは言いながらいつも仏さまに願われている私でした。 なんまんだぶ
今月のことばについて

「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。

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