2021年8月

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 夜空を見上げたのはいつの事だっただろうか。星空を見上げる事なんてしばらくしていないように思います。考えてみると足元ばかりが気になって歩いていました。つまずいたり転ばないようにそっちばかり気になっています。世の中の流れのままに押し流されて、流れに逆らう事も出来ず。たまには流れに逆らって立ち止まって星空を見上げる時間も必要です。私の育った広島の田舎は、今の時期田んぼでは月明かりの中蛙が鳴いたり、暗い闇の中あちらこちらで蛍が乱舞していました。今では水田も少なくなり蛍は飛んでいるんだろうか。少年時代を思い出します。晴れた夜には星が輝いていました。いま夜空を見上げても街の灯りで星がなかなか見えません。光の強い方が輝きも勝ってしまいます。夜空が暗ければ暗いほど星の輝きが見えやすくなります。星がたくさん輝く夜空になります。しかし、夜空の星は自らが光っているわけではありません。月も自ら光ってはいません。太陽が光源となり月に反射した光を目で受け止める事で月を見る事が出来ています。昼間も月は出ている事があっても太陽からの直接の光が強すぎて月を目で確認する事は出来ません。自ら光らない物は光がない真っ暗闇では見る事が出来ません。闇の中に少し光が入ると少し見えるようになります。たくさん入るとはっきりと物が見える様になります。光があたって輝いていきます。余談ですが、私は真っ暗闇の音の無い中で眠るのが大好きです。今の世の中なかなかそんな環境は作れないですね。さまざまな光と音の刺激から離れる事が出来ない現代ですね。いつもお勤めしている正信偈の中に、
普放無量無辺光
無碍無対光炎王
清浄歓喜智慧光
不断難思無称光
超日月光照塵刹
一切群生蒙光照
(あまねく、①無量②無辺光③無碍④無対⑤光炎王⑥清浄⑦歓喜⑧智慧光⑨不断⑩難思⑪無称光⑫超日月光を放って、塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。)
阿弥陀さまの智慧の光明を12種類の光の名前で、量り知れない、届かない所はない、遮られない、比べられないなどなど。12通りに表されています。親鸞さまは85歳の時に書かれた「一念多念証文」の中で。『「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、』としめされています。仏さまの知恵の光明に照らされて無明であること、煩悩が満ち満ちている事を知るんです。欲深く、怒りが鎮まる事も無く、腹立たしい思いばかりわいてきて、他人の幸せをうらやみ、ねたみ嫉妬する。そんな人生を臨終の間際まで止む事なく消える事も絶える事もなく続けている事を。仏さまの智慧の光明によって無明は破れ、無明煩悩の存在である事を知る事ができる。私の本当の姿を知ることが出来ればこそ、光り輝いた日々を送る事が出来るんではないでしょうか。明かりがなければ闇の中は歩んで行く事は出来ません。
     なんまんだぶ
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