2021年7月

拝まれ ゆるされ 生かされている私

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 コロナ禍で外出の機会が減っていることもあるとは思いますが、最近買い物でお店に足を運ぶことが減っていると思います。食料品やどうしてもすぐに手に入れなければならない物とか、手にとって確かめる必要のある物や服などを買う場合を除いて急がない買い物であれば、今ならインターネットの通販サイトを多く利用します。ひとむかし前まで買い物はお店に行って買うものでした。インターネットを介してパソコン、スマホ、タブレットと複数の端末を使って出先でも快適に作業や仕事ができ便利な時代です。戻ってからやらなきゃという事が出先の空き時間でできる訳ですから本当に便利です。しかし、その分気忙しくなったことは確かです。どこにいても繋がる仕事ができる。その恩恵で在宅勤務やワーケーションができるようにもなったんですが。最近私は本もネットで買います。あまり本を読む人間ではないのですがたまに買う時はネットです。それも電子ブックで購入します。パソコン、タブレット、スマホのどれでも読めるし、置き場所にも困らないので本棚もいりません。本がどこにいっただろうと探す必要もありません。スマホに何冊もの本を入れて持ち歩けるので実に便利です。ちょっとした時間で読む事ができ重たくもない。最近「いのちの停車場」という本を買いました。救命救急のお医者さんが、在宅医療のお医者さんになるというお話です。一分一秒を争ういのちの現場から人生の最期に寄り添う両極端とも言える立場のお医者さんの話です。在宅医療がこれからは多くなるのでしょうか。そのための課題もたくさんあるとは思いますが私は家で死にたい。そう思います。仏教には臨終行儀の書物があります。恵心僧都(源信和尚)の『往生要集』が最も有名なものとして知られています。死の間ぎわの病の床にあって、どのように死を迎え、死んでいったらよいかを教えています。さて、お医者さんって医者に「お」がつき「さん」までつきます。お坊さんもそうです。敬いの心持ちの表れです。人は置かれている社会的な立場や環境によって人格形成される面も大きいと思います。そんな立派な人間じゃないのに、みんなは知らないだけなのにと思う事ばかりです。でもそれらしくそれなりに振る舞う。しんどいな申し訳ないなという事ばかり。こんな私が社会に認められ、まわりの人々にゆるされ生かされている。もし、お前なんかがお坊さんかと言われれば、そうじゃないと自覚しているからこそ強く反発します。ゆるされていればこそ申し訳ないと思い反省もします。そのままをゆるされるから申し訳なさも、頑張ろうと思う気持ちも生まれてきます。仏さまから見れば、こんな私にあなたの本当の姿本当の心に目覚めてくれ目覚めてくれと拝むような心持ちでしょう。拝まれ ゆるされ 生かされている私です。
勿体ないことです。
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