2020年05月のことば

ゆるしてもらって 生きていた私

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 コロナウィルスの感染拡大に伴い都市間の移動をする人や、国内や海外の旅行者が激減しています。この世界的な感染拡大の収束は一体いつにになるんだろうか。終わりが見えづらい自粛は精神的なダメージがボディブローの様にじわじわと効いてきます。人は規制され制限される事で返って思いが強くなる事があります。月末に京都へ行く用事がキャンセルになりました。宿泊を予約していたホテルが休館しますと連絡がありました。飛行機の予約もキャンセルしなければいけないと思い手続きをする際に今どのくらい減便しているんだろうと見てみると、「えっ?!」と目を疑いたくなる程の減便でした。海外からの旅行客も見かけなくなりました。海外へ行くこともほぼ出来なくなりました。行けないと思うと余計に行きたい。新型コロナウィルスの感染拡大が収束した時には海外渡航を自粛していた人たちがいっせいに世界規模の大移動を起こすのだろうか。私もどこかへ行きたいな。おいしいものを食べたいなと思いを巡らせます。英語は話せないから、漢字の文化圏にしよう。台湾なら漢字を見ればなんと無く意味が理解できるだろうから。そうだ台湾へ行こう。皆さん許してくださいますか。どうでしょうかだめならみんなで行きましょう。どうですかね。それでもダメかな。さて、今月の「ゆるす」と言う言葉は、許可、承知、おおめにみる、聞き入れる、思い通りにさせる、手放す、自由にするなどの意味があります。「ゆるしてもらって生きていた私」たしかに多くの皆さんにゆるしていただいています。この私をゆるしてくれている人の筆頭はなんといっても親でしょう。広島に生まれて今は北海道で暮らしていますが、親に顔を見せられるのは年に一度が良いところ。何かあってもすぐには帰れない。勝手に北海道にやって来たにもかかわらずゆるし、送り出してくれ、いまでも事あるごとに心配をしてくれている。親が私の目に見えないところでしてくれていた事に私なりに気付いた時に、気付けた分だけ申し訳なさが湧いてきます。しかし、ゆるしてくれていたのは親だけではありませんね。今まで自分がして来た事を振り返ってゆるしを乞わなければならない人がどれだけ多い事か。申し訳のしようのない人生を歩んでいます。私の不実な姿が見えれば見えただけ、申し訳なさと有難さが深まるんでしょう。こんな私の生き方を親やまわりの人はゆるしてくれていました。自分を中心に考えることしか出来ていなかった私がゆるされる世界があった。ゆるされて生きていたと気付かされる世界があった。嘘偽りだらけの自己中心でしか物事を見ることも考えることもできない私であったと見えてくればこそ、いよいよこんな私がゆるされた中で生かされていたと知らされるんじゃないですか。見えて来た私の愚かさ罪深さが大きければ大きいほど、ゆるされていた事に気付けたよろこびは大きくなりますね。
親鸞聖人はご和讃に
 罪障功徳の体となる
 こおりとみずのごとくにて
 こおりおおきにみずおおし
 さわりおおきに徳おおし
と詠まれています。ゆるされた人は、人をゆるせるんじゃないかな。
      なんまんだぶ
今月のことばについて

「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。

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