2011年10月のことば

数えきれないほどのお米の一粒々々が いまこの茶碗の中に 私のために

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収穫前に行われる一般米の放射性物質の予備検査で、福島のお米から500ベクレルを超える放射性セシウムが検出されたというニュースが報道されていた。心が痛むニュースであります。

一生懸命育ててきたお米がこのまま検査を通らなければお米として出荷する事が出来ない。これまでの苦労が全く報われないのであります。

仮にいよいよ出荷をするという時期の本検査で安全基準を下回る放射線量となり出荷する事ができたとしてどうだろうか。はたして消費者は買ってくれるだろうか。

おそらく買い手があったとしても価格が安く抑えられるだろう。

人間が引き起こした災害により人のいのちが危機にさらされている現状を私たちはどう考えればいいのだろうか。事故当事者は防ぐ事が出来ない自然災害だというが決してそんな事はない。

人が人を苦しめる。あってはならない事であります。

しかし、人は豊かな自然の中や快適性に優れた中でしか生きていけないにもかかわらず、生きていく事が出来ない環境を作り出してしまいました。

福島第一原発の近くには今では住む事が出来なくなってしまったのであります。

その周辺に住む事が出来るといっても食べ物には放射性物質が付着し食べる事が出来ないこの現実であります。

人は人が快適に暮らすためには、いかなる犠牲もゆるされるかのような現代社会の人間中心のあり方は、変えていかなければならない時にきているのではないでしょうか。

人間が中心の世の中ではなく、人間も世の中の一部でしかないんだと感じる事の出来る心を育てなければいけないのではないでしょうか。

「今月のカレンダー」の作者、東井義雄先生の言葉を書かせていただきます。
『数えきれないほどのお米の一粒々々が 一粒々々のかけがえのないいのちを引っさげていま この茶碗の中にわたしのために 怠けているわたしの胃袋に目を覚まさせるために山椒が 山椒のいのちをひっさげて わたしのために梅干しもその横に わたしのために‥‥ 白菜の漬物が 白菜のいのちをひっさげ 万点の味をもって わたしのために‥‥。

もったいなすぎるもったいなすぎる せめて わたしも 白菜の漬物のひときれにでもなって ひとの心に よろこびの灯をともしたい 思い上がるなと叱られてしまいそうな気もするが‥‥。』(東井義雄)
支えられて、このいのち生きながらえる事が出来ている。

わたしという存在は、世の中のありとあらゆるものによって生かされている。

だからそのひとつひとつを粗末にしてはいけない。

茶碗につがれてご飯の一粒一粒を有難くいただくのでありましょう。

残しては申し訳ない。

粗末にしては勿体ない。消費が美徳といった時代はもう昔の事です。

日本の「勿体ない」というこころを世界に広められ、ノーベル平和賞を受賞されたワンガリ・マータイさんが9月25日に亡くなられたそうです。

「勿体ない」という心、粗末にしては申し訳ないという心、大切にしていきたい。また、東井先生の文章の後半部分を読んだ時に、そうだよなと考えさせられます。

つくづく、じゃぁ私に出来る事と考えた時に思い上がっていないかと顧みる事の難しさを思う事であります。 

    
     なんまんだぶ

 

今月のことばについて

「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。

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