娘の通う学校では今年度保護者対象の講演会を通学エリアごとに年数回ずつ開催されている。
先日の公演の中でこんな話があった。講師はサッカー部の顧問の先生でした。
学校近くの砂浜で一日中練習した時の話だそうです。
砂の上は硬いグランドの上と違って走る時に地面からの蹴り返しがぐっと少なくなり足の筋力を非常に必要とするのだそうだ。
確かに砂浜を走るのはなかなか走りづらいものである。
一日中練習するとなるといくら若者といえども疲れて走れなくなり倒れ込んでしまう。
そこで生徒は訴えるんだそうです。「先生、もうこれ以上は無理です」と、しかし、まだ走らせる。
今度は吐いてしまう。生徒は、もう限界ですと訴える。しかし、また走らせられるのだそうです。そして、練習が終わる。
そのとき初めて「よく頑張ったなぁ、こんなに苦しい練習によく耐えたなぁ」とほめるのだそうです。そして翌日も同じ砂浜で同じように練習をする。
限界を感じながらそれを乗り越えようと練習をするのであります。そうして砂浜での練習は終わった。
限界だと思いながらも練習をし、それを克服して限界を超える事が出来た。「俺たちはやったよな」「あの練習に耐えたよな」という自信が生まれたそうです。
そして試合に臨んだとき、この試合もうひと頑張りで勝てるという時に、自分達はあれだけ頑張れたんだから、あれだけの練習が出来たんだから負けないんだ。
という力を発揮できたという話をされました。この話は自己評価と他者評価の差を感じ、どうして私のことをわかってくれないんだろうかと悩んでしまう。こんなに頑張って走っているのに自分のことを理解してくれない、評価してくれない人は嫌いだ。
そんな人とかかわりを断絶していく。だんだんと断絶が人から社会へと拡がって引きこもりになっていく。
たしかにそんな若者が増えてきている現代社会である。自分はこんなに頑張ってこれだけの成果を示しているのにどうして、あの人は私のこの頑張りを見てくれないんだろう。
わかってくれないんだろう。自分が自分を評価した結果と、他者が評価した結果が違うことによる現象です。
先のサッカー部員は一生懸命に練習を頑張ったという自己評価と監督の評価がぴったりと一致していたから試合で結果を残すことが出来たのであります。
昔から「失敗は成功のもと」とよくいわれます。多くの失敗をしなければ、なかなか成功には辿り着くことが出来ないという事が人生には多々あります。
私のこれまでの人生において「失敗」や「しくじり」について振り返ってみたならば数えきれないほどあったように思います。
「つらい」と感じたこともたくさんある。しかし私は、そのほとんどを忘れている。何がいけなかったのか、どうしてそういう結果になってしまったのか。
自分なりには答えを出しているんではありますが、自分を離れて検証した事は無いに等しいと思います。主観的に自分の思いだけ(我執)で物事を観る人生で終わるのか。
それとも客観的な(他者や社会の評価)見方や、意見に耳を傾ける事が出来、なるほどそうだよねと、頷きながら人生を送る事が出来るのか。
自己評価と他者評価が合致するためには失敗であり、しくじりであり、つらさを大切にする事が必要なのでしょう。他者評価なかなか受け入れ難いですがね。
なんまんだぶ
「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。
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