室蘭という町は天然の良港をもつ町ですが、近年フェリー航路が廃止になったり、港としての機能をフルに活用しているとは言えないのが現状ではないでしょうか。そんな中、JX日鉱日石エネルギー(旧日本石油)や新日鐵に大きなタンカーや貨物船が入港しているのを見かけるとなぜかわくわくしてきます。タグボートに誘導されているところなど、じっと見ていても飽きません。このタンカーは中東の産油国からインド洋を通って、マラッカ海峡を渡って南シナ海から東シナ海そして日本まで戻ってきているんだと思うと広い地球のはるか彼方への思いが広がってきます。現代は飛行機を利用すれば地球をぐるっと一周するのもあっという間に出来てしまいますが、大航海時代は星と羅針盤をたよりにめざす町へと船を進めていたのかと思うと感動をおぼえます。実際に羅針盤を使った事も見た事も無いけれども当時の苦労が偲ばれる。現代の船や自動車は、人工衛星からの電波を受信して、ほとんど誤差のない正確な位置を知る事が出来ます。今も昔もそうですが、自分の乗っている船単独で、自分の居場所を知る事は出来ないという事がわかります。羅針盤は、空に輝く星と照らし合わせながら居場所を把握します。
GPS(Global Positioning System:全地球測位システム)は、複数の人工衛星の電波をキャッチして自分の居場所を割り出します。自分の居場所は自分だけでは気付けないのであります。
人生の羅針盤の役割を果たすものはなんだろうと考えると、まさしく宗教の役割とは人生の羅針盤ではないだろうか。闇に惑い、生きる事にもがき苦しむ私の進むべき方向を教えてくれる。目的地が決まり、羅針盤を手もとに持ち、星をたよりに現在地を割り出し、目的地と現在地をつなぐ道がみつかり、その道を歩んでいく。「一度きりの尊い道を今、歩いている」この「道」とは、私が進もうとして自分だけで探り出したどっちに進んでいくのか、もしかしたら行止りになるかもしれないような不安だらけの道ではなく、この道以外進む道はなしとお示しくださる道であります。中国の善導大師が「観経疏」(散善義)の中で説かれたものに『二河白道』のお譬えがあります。極楽浄土に往生したいと願う人の、入信から往生に至る道筋をたとえたもので、「二河」とは南の火の川と、北の水の川をいい、火の川は怒り、水の川はむさぼる心の象徴とされてます。その間に一筋の白い道が通っているのですが、両側から水火(我が煩悩の激しさ)怒り、むさぼりの心が迫り襲いかかってくる。しかも後ろから群賊や悪獣(悪や誘惑の譬え)も襲い迫っていて退く事が出来ない。一心に「白道」を進み、阿弥陀仏を念ずることによって迷う事無く浄土にたどりついたというお譬えを説かれました。煩悩にまみれた人でも、念仏という真実に出あえたならば、確かな一歩を進める事ができる身にさせていただけるのでありましょう。凡夫の私(現在地)が仏(目的地)にならせていただくお念仏(道)
なんまんだぶ
「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。