このたびの東日本大震災で被害に遭われた方々の復興支援活動が様々な団体や企業、そして個人などで行われています。
私の属する浄土真宗本願寺派(門徒のお西)でも全国の僧侶やご門徒さんが被災地に赴きボランティア活動をされています。
私はというと現地に足を運ぶ事も出来ずに何のお手伝いをすることも出来ないで、今居る場所で出来る事を探しているような状態ですが、被災地の現状や情報については、インターネットを通じて現地で活動している仲間から得る事が出来ます。
伝わってくる情報は日々変わってきています。
避難所の状況や今必要な物などテレビや新聞だけでは見えてこない生きた情報です。
メーリングリスト(インターネット上でのグループ内)の誰かが発信した情報が瞬時にグループ内の全員に配信されるので、今出来る事必要な事を考える事、対応する事ができます。
非常に便利な世の中になったものだと思います。
私は1995年の阪神淡路大震災がおこる数ヶ月前に携帯電話を持ち、被災した神戸に入って便利さを実感したものでした。
しかし、それら文明の利器も使用する環境が整っていなければ全く機能しないものだと言う事が、この度の震災ではあきらかになったのではないでしょうか。
携帯電話の基地局が壊れてつながらない、停電が続いてパソコンが使えないのでインターネットも利用できない。
水も出ない、ガスも使えない、ガソリンもない、何から何まで無い状態では、文明の利器はなにひとつ頼りにならない、あてにならない事でありました。
どんなに人間が賢くて、全ての生き物の中で権力を握っていると言えども、自然の中ではいかに無力な存在である事か。
自然のいとなみの中で生きていくという事は、決して人間が自然をコントロールし支配するという事ではありません。
自然現象が様々におこる中でこの度の津波に関して言えば、過去の大津波を経験した先人達は後の人々に対して、津波が押し寄せてきた高さを記録した碑を残されていたそうです。
自然のいとなみの中で生きている。
それを受け入れたうえで生きている。
自然に逆らうのではなく、自然を支配して環境を変えていこうとするのではなく、緑の山々があり、きれいなせせらぎがあり、広大な海があり、暖かい太陽が照らし、大いなる恵みをあたえられて生きている。
その事は実はとんでもない事なんだ。
といただく事が出来るかどうか。
インターネットの地図検索サイトを見ていると衛星写真に写った我が家を見ることが出来る。
人影こそは確認できないが、たしかに家は見て確認する事ができる。
一軒一軒きれいに写っている。その家々をみていると思う事がある。
室蘭には何万戸という家が建っている。
北海道では数百万戸になる。
日本全体では数千万戸の家になる。
世界中では何十億戸の家になるのだろう。
広い広い地球の中で、北海道の室蘭というところに何かの縁によってたまたま暮らしている。
今のこの環境、景色の中に、この自然のいとなみの中に生かされている事は、実はすごいご縁がいっぱい重なって出来上がっているすごい事だったんですね。
ただ事じゃなかったんですね。
なんまんだぶ
「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。
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