生まれてきたときは何も持たずに生まれてきた。服すらも身につけていなかった。それから五十年経った今ではどうだろうか。持ちきれないほどのものを抱え、背負いきれないほどの荷物を背負っている。時々重たくて重たくて少し荷物を減らそうと思うこともあるが、なかなか何を減らして何を残せば良いのか迷ってしまい結局何も捨てられずにいる。私は広島県で生まれた。京都の大学に進んだ。北海道で暮らすことにして北海道へやって来た。家族を持った。子供も授かった。最近では保育所の経営も始めた。どうだろうか、広島県に生まれ育ってそのまま広島県に居ることだって出来たはずである。しかし私は広島県を出ることを決心した。誰に言われたことでもない。京都の大学は自分で選んだ学校である。親にあそこの大学に行きなさいと言われていった大学ではない。北海道で暮らすことも家族を持つこともすべて私自身が選んだことだ。保育所を始めたのも頼まれたからではない。地元にあった保育所が様々な理由で経営維持していくことが困難であると判断し閉園を決めた。そして地元に保育所がなくなるということで名乗り出た。私がしなくてもいいことだったのかもしれない。これまで保育や幼児教育について専門的な勉強も経験もない私がするということに対して周りで心配してくれるものもたくさんいてくれた。しかし、私はやってみたかった。幼い時から人生において変わることのない生きるための芯と言うのだろうか。いついかなる時代でも変わらないぶれない軸を見つけて欲しい。大人になったときに「そういえば保育所の時に」と思い出し「そうだ、仏様に聴いてみよう」と思ってくれるようになればどんなに素晴らしいことだろうと思ったのである。いつの日か保育所をやっていて本当に良かった、続けてきて本当に良かったと思える日が来るんだと勝手に思い描いている。しかし現実は経営であるからいろいろな問題も起こってくる。正直ちょっとしんどいなと思うこともたまにはあります。ほんのちょっとですよ。自分で決めたこと自分が歩もうと決めた道ですから誰かに途中で譲ったり、変わってもらうことはできません。自分が背負うと決めた荷物は自分が背負うしかないのであります。ここまで書いて思い出した。「自分でつけた火を自分で消すことができないのなら火をつけちゃいけない」という言葉を思い出しました。これは私の先生が福島第一原発事故をうけて原電の再稼動問題についておっしゃられた言葉です。福島の責任は誰が背負うんでしょうか。私たち一人一人が私の責任として、私が電気を使うという事に向き合い、自分の荷は自分で背負わなければいけません。たった一度の人生だから。子供のころ火遊びをするんじゃないと怒られた。火が消せないならば原発再稼働に反対することは、私の荷であり自分で背負うものでしょう。つながっているいのちの中でたった一度の人生を生きる私の責任として。誰も変われない私の人生において、私が選んだ人生という荷を私が責任を持って背負っていこうと思います。 なんまんだぶ
今月のことばについて
「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。