2013年12月のことば

本願力にあひぬれば 空しく過ぐる人ぞなき

 
 今年も残すところあと少しになってきました。今年もいろんな事がありましたが、私は基本的にあま
り物覚えが良くないせいかあまり覚えていませんが、今月の法語がお葬式を勤める時に読むご和讃なも
のですから今年亡くなった方で思い出す方といいますと、この方を思い出します。7月30日に亡く
なった笑福亭松喬師匠です。毎年北海道まで落語会のためおいでいただいておりました。しかし、一昨
年癌が見つかり昨年の落語会においでいただいたのがお目にかかる最後となりました。しかし、師匠の
落語は今でも脳裏によみがえってきます。素晴らしい話芸でした。昨年の落語会で演じていただいた
「へっつい幽霊」に出てくる親から勘当中の若旦那・さくぼんの「詰らん詰らん、道楽の挙げ句の果て
に、タバコ銭までのぉなってしもた。詰らんなぁ…」勘当中の贅沢三昧ですっからかんになり、むなし
さを感じる若旦那のさぼん。脳天の熊五郎との絶妙の掛け合いをもう生で見ることが出来ないと思うと
残念でなりません。思い通りにならない、ままならない日暮しを送りながら、「詰まらん詰まらん」と
言いながらむなしい人生をすごしてしまう。私の日暮しがさくぼんや熊五郎と重なります。
 お念仏の教えに出遇わなければ私の『死』というものを受容出来るだろうかと思う事があります。面
白おかしく元気な老後を過ごし、みんなを見送ってからゆっくりと人生を振り返り、子や孫に惜しまれ
ながら終わっていくと決め込む。しかし、一度予定が崩れると二度と立ち上がれないまま娑婆に後ろ髪
を引かれながら、むなしく人生を終えていく事になるんでありましょう。面白おかしくスパァッと人生
幕引き出来れば最高ですが、そんな事って稀だと思いませんか。これこそ煩悩の濁水の中にどっぷりと
沈んでいる姿にほかなりません。仏教説話に子どもを亡くしたキサーゴータミーという母親のお話しが
あります。そのお話しの中でお釈迦さまが詩をうたわれます。
 子供や家畜、財産に
 気を奪われてとらわれる

 人を死王は、さらいゆく
 眠りに沈む村々を

 大洪水がのむように
死が、生きる者の逃れられない定めであることを教えられたキサーゴータミー。死は誰しも避けて通る
事の出来ない根本の苦悩であり自分自身が向き合う問題である。生死を超える道を求めるところに私た
ちの苦しみや悲しみの根本的な解決があるのだとお示しくださり、
 不死の境地を見ることなしに

 百年間も生きるより

 たとえ刹那の生であれ

 不死の境地を見られれば

 これより勝ることはない
と説かれます。
 癌を患い落語家として最期まで高座にあがられ、落語家として人生を生き抜かれた笑福亭松喬師匠
「たとえ刹那の生であれ、 不死の境地を見られれば
これより勝ることはない」人生だったと思われた
のではないかなと勝手に思わせていただきました。
  本願力にあひぬれば
  むなしくすぐるひとぞなき
  功徳の宝海みちみちて
  煩悩の濁水へだてなし
       《高僧和讃》
 笑福亭松喬師匠の人生を偲ばせていただき、如来さまのご本願の有難さをおもわせていただきました。             
       なんまんだぶ
 
今月のことばについて

「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。

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