2012年07月のことば

子どもこそは おとなの父 子どもこそは いのちのふるさと

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 携帯電話の普及率が今年の3月末で100%を超えたそうです。つまり日本に住んでいる全ての人の数よりも携帯電話の数の方が多いという事であり、赤ちゃんから年配の方まで全ての人が携帯電話をもっている計算に成ります。パソコンと連動させて使うと一段と便利なスマートフォンの急速な普及が背景にあるそうです。確かにこれまでの携帯電話で主に通話をして、スマートフォンでデータ通信(メールやゲームなど)をするという使い分けをして携帯電話の複数所有が増えてきたそうです。かくいう私もお寺名義の携帯と個人の携帯とで使い分けをしています。携帯電話が広まるまでは相手先の家や会社に電話をして話をしていましたが、みんなが携帯を持つようになると直接つながるようになり、いま電話が出来る状態かどうかを確かめる必要がでてきました。携帯でメールをする事が当たり前になってくると相手の都合など気にせず、いつでもメールを送るようになり、受け取った相手は自分の都合でメールを返信すれば用件が済むようになってきました。便利な次代といえば便利なのでしょうが、人と時間を合わせて向き合って話をする必要が無くなりました。先日スマートフォンのアプリ(ソフトウェア)でおもしろい物を見つけました。『休みの言い訳』というアプリです。仕事を休むのもメールで簡単かつ一方的にやってしまえというものです。冗談半分で使うものだろうと思いますが、なかには本当に利用する人がいるのかもしれませんね。人と直接話さなくても生活が成り立つ世の中に変わってきているなとつくづく感じます。会いたくない人とは会わなくてすみ、話したくない人と話さなくても用事がすむ世の中になりました。インターネット上で成りたい自分に成り済まし自分を隠した状態で人とのつながりを持つ現代社会。楽なようだけれど本当に楽だろうか。

 人は成長する段階で様々な知識や能力を身につけます。それらをフルに活用して人生の荒波を乗り切っていこうとするのでありますが、その知識や能力とは、私の都合にかなうものかどうか、自分にとって利益があるのか不利益なのか、損なのか得なのかを見極めるためのものであります。大人になるための知識や能力とは、そういう価値観を身につけ育てていくという事に他ならないのではないでしょうか。生まれたばかりの赤ん坊が、自分にとっての都合の善し悪しをはかったりしません。お腹がすいたらお腹がすいたと泣いて訴えはしますが、お腹がいっぱいになれば泣き止みますし、「お母さん僕が赤ん坊でお腹をすかせた時にミルクをくれなかったね。僕はいまでもその事が赦せないし、今も忘れる事が出来ず、夜中うなされて目が覚める事があるんだ」という話は聞いた事がありません。しかし、大人になってからならあれだけは絶対に忘れられない。絶対に赦す事が出来ないという事があるんじゃないでしょうか。純粋な子どもこそは、不平不満ばかりの私の父であり、濁りの無い澄みきった心で何の疑いも持たない子どもこそ、煩悩具足で火宅無常の世界を生きる私の、いのちのふるさとではないでしょうか。   なんまんだぶ

今月のことばについて

「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。

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