2012年05月のことば

生きる喜びにめざめさせてくださるのが ほとけさま

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 先月のカレンダーに書いた話を読まれて私がたいそう酒飲みだと思われた方がいらしたので、そんなに酒飲みみたいな話になっていたかなと思い読み返してみました。全く私の私生活について、ことお酒に関してご存じない方だったら、毎日毎日二日酔いをするぐらいお酒を飲んでいる大酒飲みだと思われても仕方ないかなという書き方でした。私は一日にビールを350ml缶で3~4本飲む程度の酒飲みです。その量を超すといささか翌日に飲み過ぎた感が残ったりもします。大酒のみで、身体を壊すぐらいに飲んでいるかのような誤解をあたえました事につきまして、改めて今月の紙面をもってお詫びと訂正をさせていただきます。毎日のビールの晩酌はその日の疲れを忘れさせてくれます。生きる喜びにめざめさせてくれます。それを今月のカレンダーに書いてある法語に置き換えてみると、ビールは仏様?という事になってしまうではないですか。申し訳ない事です。失礼しました。

 さて、仏様がいてくださる事で生きる喜びに目覚める事が出来る。本当の生きる喜びとは何であろうか。仏様によって生きる喜びに目覚めさせていただくとはどんな事なんだろうか。仏様のおはたらきに出遇うと私がどのような目覚めをさせていただくのであろうか。昨年、五木寛之さんが全国の新聞に「親鸞〈激動編〉」を連載小説として書かれていた。この連載小説は多くの方が読まれていました。お参りに伺うとこの話もよく出てきました。話が合うようにというよこしまな考えから読んでおこうと思い読んでいました。読み続けているといつしか引き込まれ、早く続きが読みたいと思うようになっていました。その小説の中に私も一緒に入っていました。同じ悩みを抱えて親鸞聖人になぜ念仏を称えると済われるのですか、済われるとどうなるのですかとたずねているのでした。関東の道場において念仏の効用を聴きに来ている人に親鸞聖人がお答えになる場面は今でも印象的に記憶に残っています。真っ暗い山道を9歳の親鸞聖人がひとりで比叡山の横川まで思い荷物を運んでいる時の思い出話であります。月明かりも無く真っ暗な中で疲れ果て、足は血だらけに傷つき、もう一歩も前に進む事が出来なくなったときに空から月の光があたりを照らし出し、自分が山肌にそった細い道の途中にいる事がわかり、その道をずっとたどっていけば間違いなく横川にたどり着けるとわかった時、また歩き出した。すると木立の中に横川のあかりがかすかに見えた。あそこへ行けばいいのだと思うと、嘘のように身体が動いた。そして横川にたどり着いたと話されるのであります。そして続けて、月の光があたりを照らしたからといって、背負っている荷物が軽くなったわけではない。遠くに横川の灯りが見えたからといってそこまでの道のりが近くなったわけではない。荷の重さもかわらない。歩く道も近くはならない。だが、私は立ち上がり、歩き出す事が出来た。と話をされるのであります。

 人生においてどうしようもないほどの絶望に出くわした時に、生きる喜びに目覚めさせてくださり、苦悩の人生を渡っていく力をあたえてくださる阿弥陀様。苦悩の人生であっても確かに一歩一歩歩みを進める事が出来る私にお育ていただく事が阿弥陀様のおはたらきであり、阿弥陀様に出遇わせていただく事でありましょう。それはお念仏として私に届いてくださっているのであります。

      なんまんだぶ

今月のことばについて

「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。

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