2015年02月のことば

「自分の家」ほんとうは「ただごとでないところ」

15.02.jpg

 新聞やテレビから流れてくるニュースについて、どうしてそんな事件がおこるのか犯罪をおこしてしまうのか犯行の理由が理解できない。19歳の女子大学生が77歳の女性を斧で殴り殺したという事件は記憶に新しい。「子供の頃から人を殺してみたかった」と供述しているという。どういう意味なのかわからない。殺すということがどういうことなのか。殺されるということがどういうことなのかと考えたら、殺人は出来ない、してはならないことだと判断するのが当たり前だと思っていた。誰しもそう思うはずだと思っていた。しかし事件は起きているのだから私の思っている当たり前が通用しない世の中ということなのだろうか。赤ちゃんが生まれてすぐに人を憎んだり恨んだりすることはありません。周囲の人から愛情をたっぷりと注がれ大切に大切に育てられたならば自分は大切な存在なんだ。そして周りの人も大切な存在なんだと気付かされ教えられ命の大切さが育まれるのではないでしょうか。しかし、人は赤ちゃんから大人へと成長していくと、人を憎み恨むという心を持つようになるのはどうしてなんでしょうか。家庭での人としての「育ち」がどれほど大切なことであろうか。漢字辞典をひいてみると『育』という字の上の部分は胎児がひっくり返っているところだそうです。下の部分は肉月といい、母親のお腹から生まれた子供に肉がつき成長することを表しているのだそうです。「子育て」とは、こどもに食べ物を与え大きくさえすればいい、それで育ったということではありませんよね。家庭での教育について私の先生がこんなことを書かれていました。「家か家庭か」と、家も家庭も同じ意味じゃないのかと思ってしまいますが、漢字の意味を見てみると実に興味深いものがあります。「家」という字の「宀(うかんむり)」は屋根だそうです。なるほどそうですね。下の部分は豚だそうです。豚は昔は財産でしたから人間とひとつ屋根の下で暮らしていたところから「家」という字ができたそうです。家庭の「庭」という字は建物中の広間、「广(まだれ)」は屋根を表し「廷」は平で広い場所という意味で、朝廷とか法廷といういう字に使われますから、まっすぐである正しいという意味になるそうです。自分の暮らす場所、ひとつ屋根の下で生活する家族の住む場所が、家なのか、それとも家庭なのかで大きな違いがあります。家だとしたら生活しているだけの空間で人間らしく成長できるのか、ただごとでないところです。家庭だとしたら人としての最低限の作法は身につけることができる場所、人として育つことができる場所、そう思うとこちらもただごとでないところですね。私たちが社会の中で生きていくためには人間として身につけておくべき作法がありますが、私たち大人でも出来ていないことがあるように思います。古いと言われるかもしれませんが、家の中では帽子を被らないとか、開けた戸はきちんと閉めるとか。玄関で脱いだ靴は綺麗に揃えるとか。それはいつ、どこで学ぶのでしょうか。人間は人間の子として生まれたから人間になるのではありません。幼児期における家庭教育が大切です。『人は生まれによって尊いのではない。行いによって尊くもなり賤しくもなるのだ』と説かれたお釈迦さまの言葉が、大人として親としてひとりの人間として、わたしに重く響きます。 なんまんだぶ

今月のことばについて

「今月のことば」の挿絵とタイトルは、株式会社探究社および株式会社法蔵館で発行している
「ほのぼのカレンダー」から引用させていただいております。

≪ 前月のことば |  HOME  |   次の月のことば ≫

ホームへ
寺の概要
今月のことば
ブログ ブツブツ相念
お問合わせ・連絡

アーカイブ

年・月別アーカイブ