2018年1月

一度きりの尊い道を 今、歩いている

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 私が2011年以前に東北を訪れたのは、仙台で仕事をしていた高校時代の友人の結婚式に行ったのが唯一の東北訪問だった。東日本大震災がきっかけとなって東北へは年に数回おとずれるようになった。震災後ご縁をいただいた仮設住宅の方々に会うために先月も岩手県大槌町をおとずれた。今回は嬉しい訪問と悲しい訪問と二つの用事で訪れた。嬉しい訪問とは、私たちの訪問の対応をいつもしてくださっていた仮設の自治会長さんが、生まれ育った地区にようやくご自宅を新築されたのでそのお祝いに伺うというものでした。私たちが仮設団地にいついつ行きたのですがよろしいですかと聞けば、調整対応をしてくださいました。これまで色々とご苦労もあったと思います。震災後の避難所生活から仮設住宅での暮らし、自治会長として仮設団地での住民の皆さんの取りまとめ、言葉にできない苦労もたくさん有った事だと思います。震災後六年半を過ぎてようやく我が家を持たれた。この六年半がどれ程長く感じられた事だろうかと拝察するけれど私には到底はかりしることはできません。新築のご自宅の寝室で寝ていて目がさめると、ここはどこだ。どこで寝ているんだと思うことがあるとおっしゃっておられました。心安らかに眠れる場所があるというのは大事なことですね。これからは自宅で寝むことに慣れて安らぎを実感されるんでしょう。これからは少しゆっくりされればいいなと思いました。もう一つの悲しい訪問というのは、昨年の十月に仮設団地で出会った同い年の方が大動脈解離で急に亡くなったのでお悔やみに伺うというものでした。会えば楽しいお酒を酌み交わし、今年六月の大槌町の隣りの隣りになる宮古と室蘭の航路にフェリーが就航すると北海道に行くからと約束していたのですが、それも叶う事なく亡くなりました。人が亡くなるのは年齢ではないですね。死の縁がととのえばいとも簡単に消えていかなければならない儚いいのちを今日も生きる縁がととのったからたまたま生きていたんですね。この今いただいている命も一度きりのもの一生懸命輝かせて生きているかと厳しご催促をいただいたように思います。誰も変わることのできない一度きりの人生を歩むという事を改めて考えさせてくれる尊いご縁でありました。二日目には共通の知人を介してご縁をいただいた曹洞宗のご住職を訪ねました。その方は大槌町で昨年発刊された「生きた証回顧録」の編集発刊に携わられた方です。この本は犠牲になられた方の人柄や経歴、震災時の行動等を聴き取り記録に残されたものです。あなたの歩みを忘れない、あなたのことを思っています、これからの人たちへ震災を伝承するための本。その本をいただいてきました。読ませていただくと犠牲になられた方は、周りの人を助けようと思い犠牲になられた方もたくさんいらっしゃいました。『一度きりの尊い道を今、歩いている』と、確かに言える私であっただろうかと、立ち止まり私を見つめる尊いこの度の訪問でした。  なんまんだぶ

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