私は広島県で生まれ育ちました。夏休み中でも8月6日は登校日となっていました。原爆投下時刻の8時15分になるとサイレンが鳴り響き、登校日のその日は平和について学びました。広島では原爆の日が近くなると平和の尊さと平和を守ることの大切さそして、戦争が何をもたらし、何を奪い去るのかを学ぶ平和学習が行われます。今月の法語の「青い空も月も 星も 花も みんな みんな 仏様の お恵み」という言葉を目にして、平和学習の中で覚えた歌に同じような歌詞があったなと思い出しました。覚えている歌詞をインターネットで検索してみると、「青い空は」という歌でした。他にも歌は色々教わったように思いますが、「青い空は青いままで子どもらに伝えたい」という歌詞だけははっきりと覚えていました。改めて歌詞を読んでみると、原爆の悲惨さ、8月6日が持つ意味、そして平和への営みの大切さを私に働きかけてくれる歌です。子供の時に覚えた歌はいつまでも覚えているものですね。今回「登校日」について検索していると非常に気になる記事がありました。それは広島市内の公立小中学校では8月6日が登校日ではなくなるというものです。なぜ被爆地である広島の小中学校でそのようなことになるんだろうと驚きましたが、地方分権の一環で広島県から広島市への権限の移動に伴い、市の条例が適用になり市の職員である先生たちがお休みになるのだそうです。広島市の条例では8月6日が平和記念日として休日に制定されているので登校日にできないのだそうです。しかし、学校へは行かないが平和公園で行われる平和記念式典に出席することができるという考え方もありました。さて、戦後72年をむかえ多くの人が戦争を体験していない現実の中で、いかにして戦争がどれほど悲惨なもので、どれだけの悲しみを生み出すものなのか、平和を守ることがどれだけ大変で大切なことなのかをどのように学び続ければいいのだろうか。なぜ戦争は起きるのだろうか。資源の奪い合い、領土の奪い合い、などなど利益を確保するために争い戦争となるのだろうか。自分のものにする、自分の支配下に置く、自分の影響力が届くようにする。何もかも欲しい欲しいという欲望ではありませんか。これは私の物、それはあなたの物。この土地はあなたのものだけどいい場所だから奪い取ろう。手にした物は離さない。目に見えるもの、手に触れるもの全てを所有したくなる。所有すればしたで、まだ欲しい欲しいと終わることを知らない。どこまでも物欲に苦しまなければならなくなる。「青い空も月も星も花もみんなみんな仏さまのお恵み」考えてみれば人間の欲って本当にきりがないというか底なしというか。世の中には星の命名権なんてのもありますね。星に住めるわけでもないし行けるわけでもない、ただ自分の好きな名前をつけられる権利だそうです。私を取り巻く全ての物が、自分のものだから大切にする生き方か、みんなのものだから大切にする生き方か、同じように大切にするんだけれどその意味は全然違いますね。 なんまんだぶ
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