本輪西駅から旧国道37号線を本輪西の街へ入ってきてお蕎麦屋さんのこがねの向かいを入ってしばらく進み、森の中を抜けると幌萌町の中幌萌に到着します。ここには大きな桜の木が有ります。花が咲く時期にはライトアップもされて多くの人が花見を楽しまれています。保育所の子どもたちも毎年お花見に出かけています。今年も綺麗に咲き誇ります。毎年時期が来ると綺麗な花が咲いています。幌萌の大桜が散り始めると、次に境内の八重桜が見事に咲きます。桜の花を眺めながら、ゆっくりとお酒を楽しんでお花見ができたらいいなと思うのですが、なかなか私の都合と桜の都合が合いません。やがて夏になれば今度は境内の紫陽花が綺麗に咲きます。毎年坊守が花の世話をしています。私は見ているだけであります。そして梅も実ります。梅干しや梅酒を作ればいいのでしょうが、私はもっぱら食べ飲みが専門なものですから他の方にお任せであります。秋には紅葉が綺麗です。北海道の紅葉は昼夜の寒暖の差が大きいから色がはっきりしています。冬にはまだ誰も歩いていない早朝の真っ白いふわふわの絨毯を敷き詰めたような雪が美しい。澄んだ青空をバックに真っ白い雪が太陽に照らされて光っている景色は本当に綺麗だと感じます。春には春の穏やかさがあり、夏には夏の輝きがあり、秋には秋の美しさ、冬には冬ならではの素晴らしさがあります。私は四季それぞれが美しい事に不思議さを感じていただろうか。春が来れば桜は咲くもんだ。夏には紫陽花が、秋の北海道は昼夜の寒暖の差が大きいから紅葉が綺麗なんだ。冬には雪は降るものなんだ。四季それぞれの顔を見せるから春夏秋冬というんだくらいに思っていた自分がいます。しかし去年の花が、今年も咲いているわけではありません。今年花を咲かせている木も去年と同じ木だけではありません。木も育ちやがて枯れて行きそして新しい木が育って行きます。それぞれの木が当たり前のように私の周りで花を咲かせ、季節の移ろいを見せてくれている。その一瞬(ひととき)がすべて新しい一瞬(ひととき)なんだと感じることができるこの感覚は大切にしなければいけませんね。すべてのものが移り変わりしている存在であり、様々な縁が重なる中で私を取り巻く環境が出来上がり、私が存在しているという事に気づかされる有難さを知らされる。当たり前だと思っていた事が、実は大変な事だった。当たり前なんてとっても大変な事なんだ、難しい事なんだと私には見えていなかった。当たり前ではないという世界観、価値観に目覚めさせてくださる仏様の智慧の光ってすごいです。私の都合という闇の中いる私に闇だと教える光が差した。光により私の煩悩の闇が見えた。当たり前だとしか見ることができなかった私が、当たり前ではなかったと見る事が出来る私にならせていただいた。今年の春にこの桜が咲くことは、すごい事だったんですね。
なんまんだぶ