今月の法語を読んだ時に最初に思い出したんですがもう四十年以上前になるんですね。改めてびっくりしました。そんなに時間が過ぎていたんですね。当時は青春ドラマ、学園ドラマがシリーズで放送されていた時代です。1974年に放送された中村雅俊主演の青春ドラマ「われら青春」ラグビー部員と高校教師の青春ドラマでした。もしかしたら私が高校時代にラグビーをするきっかけのドラマだったのかもしれません。昨年こそW杯で日本代表が南アフリカに勝ってラグビー人気も全国的に盛り上がってきましたけれどもそれまでは結構地味なスポーツだったと言っていいかもしれません。このまま2019年の東京でのラグビーW杯へと続いて欲しいですね。
ドラマの主題歌『帰らざる日のために』の歌詞では「涙は心の汗だ」という言葉も有名になりました。
主題歌ははつらつとした青春の輝きを感じる歌でした。挿入歌『ふれあい』の歌詞では、人生の苦悩や挫折そこからいかに生きていくのかを示してくれるような歌でした。
悲しみに出会うたび
あの人を思い出す
こんな時そばにいて
肩を抱いてほしいと
なぐさめも涙もいらないさ
ぬくもりがほしいだけ
ひとはみな一人では
生きてゆけないものだから
おそらく当時小学四年生だった少年は、歌詞の意味など深く考えることもなく歌っていたことでしょう。若い時に出会う悲しみといえば、出遇った人との別れ。その中で感じる事や出遇いの経験から見えてきた世界に勇気付けられたり励まされたり、また友人に感謝したりと、人のつながりの中での別れや悲しみを感じたものだったと思います。しかし五十を過ぎて歌詞を味わってみるとそうだなと深くうなずける歌です。いま思う悲しみというのは、他者との別れの悲しみもありますが、やはり一番問題になってくるのは、この私が娑婆世界と別れていかなければならないという現実に直面する事。すなわち私が死んでいくという事の重大さに出くわした事。そこから生じる悲しみが気づかせてくれる世界。私たちは五体満足で生まれることが最上の喜びであり、健康で長生きすることが何にも勝ることであると考えてはいないでしょうか。そう考えるとそれらを失う時にこの私は耐え難い悲しみの現実に出会わなければならいことになります。《いささか所労のこともあれば、死なずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。(歎異抄第9条)》健康が何より大切だと思い込んでいると、ちょっと風邪をひけばこのまま死ぬんじゃないかと思うってしまうほどであります。急いで死にたいとも思いませんし、病気にも成りたく無い。長生きや健康が素晴らしいと思っていたけれど、死なない訳ではない。死の前では健康も長生きも無意味だった。そんな時にそばに寄り添い何も語らないんだけれどただぬくもりをくれる存在ってどれだけ心強いことか。人は一人では生きていけないし、死なない人はいない。《いそぎまゐりたきこころなきものを、ことにあはれみたまふなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じ候へ。(歎異抄第9条)》親鸞様が私の肩を抱きそばにいて歩む道を教えてくださっていた。
なんまんだぶ