四月から娘が東京(正確には埼玉県)で暮らし始めました。東京は交通の便もよく、どこかへ遊びに行こうと思えばいろんなところがあり、簡単に行くことができるようです。北海道から東京ディズニーランドへはなかなかおいそれとは行けませんが、東京だと電車に乗るだけで簡単に行けるのであります。年間パスポートを買おうかなぁなどと夢のようなことを言っておりましたがどうするのでしょうか。もしも私が娘の立場なら年間パスポートを間違いなく買っていると思います。買えるものなら買いたい。実は、私は夢と魔法の王国が大好きなのであります。さて、今月の法語は「見えないところでささえてくださる願いがある」〈願い〉といえばデュズニーのピノキオの主題歌は『星に願いを』です。《願い》とはなんだろうと思い辞書を引いてみました。動詞と名詞で意味が書いてあった。そうか星に願いをの〈願い〉は願うという動詞になるんですね。〈願い〉とは生まじめに思いつづけること、一心に求める事、希望する事だそうです。ピノキオも時計職人のゼペットが自分の子供だったらと一心にお願いをしたんですね。名詞としては心中にひたすら求めていること。望みだそうです。そこにもう一つ仏教語として名詞の意味があるとありました。目的設定の上、それを得ようと願い求めること。「本願」「誓願」ともいう。阿弥陀如来の四十八願、薬師如来の十二願が代表。(学研新漢和大字典より)と書かれています。私という人間の願いと阿弥陀さまの願いとのちがいをはっきりさせなければいけませんね。私の願いといえば私にとって有益であること好都合であることが根底に必ずあります。世の中が平和でありますようにと願う根底には、私が暮らす世の中だから平和でなければ私が困るのであります。みんなのための素晴らしい願いを建てても全ては私のためでしかないお粗末な願いであります。でも阿弥陀さまの願いとは、『如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり(正像末和讃)』親鸞上人が書かれたうたです。大悲の誓願が見えないところでささえてくださっている。誰を?この私を!であります。阿弥陀さまがどうして願いをたてられたのだろうか。あーでもない、こーでもない。あいつが悪い、こいつが気にくわない。あれが欲しい、これが欲しい。あれがしたい、これがしたい。次から次へと沸き起こってくる欲望に振り回され、どっぷりと浸かり迷いの中で迷っていることにすら気づいていないこの私だからこそ迷いの闇の中から救わなければならないんだとおはたらき下さるんであります。そのおすくいが見えていなかった私でありましたとよろこばさせていただける身になれば、見えないところでささえてくださっている大いなる願いをいただき、見えないものが見えてくる。お陰を知る。目に見えないご恩を感じることができる。この私をささえてくださっている願いに気づかせていただき、その願いによって苦悩の中にありながらも苦悩を抱えたままではあるけれども迷いを迷いと知らされた事で真実のご本願に出遇っていたんですね。見えないところでささえてくださっていた願いがあったんですね。
なんまんだぶ