先月、健康診断を受けました。結果は一項目だけ標準値をオーバーしていました。悪玉コレステ
ロール値(正常値60~120 注意値140以上)がちょっとだけオーバーしているそうです。ちょっと
だけですけれどと言われましたのでほんとにちょっとだけです。141でした。「どうして数値が上
がったんでしょうか。高いとどうなるんですか」とたずねると「高いと心臓病のリスクが高くなり
ますよ。3年前の検査数値から上がっていますが運動をしていますか。」と聞き返されました。確
かに運動はしていません。ことに我が家で飼っていた犬が死んでからの2年近くは散歩もしなくな
り、運動らしい運動は全くしていません。犬の散歩は約2キロを毎日ジョギングでしていました。
今だとおそらく走れないと思います。もう一度継続して走り続ければ必ずまた走れるとは思うんで
すがこれがなかなか難しい。おとなになって何かひとつ目標を掲げて目標に向かって取り組むとい
う事はかなりハードルが高く難しく、動き出すまでに結構な決心も必要になります。しかし、子ど
もの頃は難しい事でも果敢に挑戦していたように思います。結果の善し悪しなど全く気にする事も
無く行動する事が出来ていたのではないでしょうか。どうしてあんなに熱くなれたんだろうかと考
えてみると、何事にも陰になり日なたになって支えてくれた親がいました。出来る限りの事を自由
にさせてくれていたんだなと改めて感じる事であります。今になって思えば親が任せておけとしっ
かりと受け止めてくれていたんだなと気付かされます。なんと有難い事か。どんな困難に出会って
も、どんなに失敗してもまた頑張れば良いんだという安心感が有ったように思います。親の思いの
中で親にお任せで生きていたんだなぁと思います。
近所に『天狗』という店が有りよく利用しています。行けば「何にする」「うん、何でもいい。
任せる」と言いながら「サンマの刺身食べるか」「う~ん、青魚はいらない」「たち(たらの白子)
は食べるか」「たちは食べない」こんな会話をよくします。出されたものを黙って食べるのがお任
せというものでしょう。しかし、私はお任せと言いながらお任せしていないのであります。あれは
ダメこれはダメと言うのであります。考えてみると、ひとは大人だろうが子どもだろうが自分の都
合や価値観でしか生きられない存在だという事をつくづく感じます。そんな私の本性に出遇えた時
に、こんな私が支えられて生きている。こんな私が生かされていた。生かされて生きている事を知
らされるのでありましょう。
全ての人が幸せになれる世界になるように仏様は願われています。自己中心の価値観しかもって
いない私を幸せにしたいと願われる阿弥陀様というおおいなる存在につつまれて、どんなに煩悩の
日暮しを送っていても、火宅無常の世界に生きるしかない私であっても、愚痴しか出てこない私で
あっても、そのまま抱えられて生かされている。そんな世界に出遇ったならば『大いなるものに生
かされて生きるしあわせ』を感じさせていただけるのでしょう。 なんまんだぶ