『あたりまえ、あたりまえ、あたりまえ体操』お笑いコンビのCOWCOW(カウカウ)が体操服姿で踊りながら
日常の何気ない話題を取り上げ当たり前の事だといって笑いにするのが流行った『右足出して、左足出すと、歩け
る。』確かに右、左と交互に脚を出せば前にすすんで歩ける。当たり前である。なるほど「当たり前体操」である。
夜眠ると朝目が覚めるのも当たり前の事である。朝起きたら朝ご飯を食べるのが当たり前である。温かいご飯を食
べる事も当たり前。冷めたご飯は電子レンジで温めるのが当たり前。レンジがあればなんでも簡単に温める事が出
来る。当たり前の事である。時として無性に焼き肉が食べたくなる事が有ります。そして食べておきながら美味し
くないとか、脂っこいとか。当たり前のように言う私がそこにいるのですが、私ひとりで牛を捕まえて育てて、殺
して、肉にして、火をおこして、焼き肉が食べられますか。いいえ出来ません。今の私の当たり前の生活はとんで
もなく多くの方々のおかげにより成り立っているという事を知る事が出来ます。
先月27年ぶりに来日したミャンマー(ビルマ)の非暴力民主化運動の指導者で、国民民主連盟中央執行委員会議
長のアウン・サン・スー・チーさんが4月15日浄土真宗本願寺派立の龍谷大学で記念講演をされた。現代の日本に
おいては、当たり前と考えられている「人権」「自由」「民主的な社会」がこれまでのミャンマー(ビルマ)では
当たり前の事ではありませんでした。何度も自宅軟禁状態を強いられたスーチーさんでしたが、決して暴力に頼ら
ず民主的な社会の実現に取り組まれてきました。ミャンマー(ビルマ)において民主的な社会は当たり前の社会で
はなかったのであります。スーチーさんは仏教徒であり京都大学に在籍中には仏教系大学である龍谷大学へもよく
通われていたそのご縁で開催された講演会でした。《講演後、学生との意見交換で、「アウン・サン・スー・チー
氏の生活において、仏教はどのような役割を果たしてきたのか」という質問に対し、「仏教は常に私の一部でした。
私の人生の目的は、自分が住んでいる世界、家族、友人、国、あるいは世界全体をよくしたいということ。自分が
いる場をより良くし、自分が離れた場を自分が来た時よりも良いものにしたいのです。これはそんなに実践するの
が難しいことではないと思います。(龍谷大学HPより抜粋)」》軍事政権下において非暴力で民主化運動を続ける精神的な
ベースとして仏教の自利利他(私の幸せは全ての人が幸せになることで初めて幸せになれる)の考え方があり、全
ての人が幸せと思える社会の実現、軍事支配している政権をも非暴力で包み込み、よりよい社会にしたいと実践して
こられた姿はじつに尊い事です。民主的な社会は〈当たり前〉の社会と思っていたけれど、世界の中でところが変わ
れば民主的な社会が成立している事は〈当たり前〉ではなかった事なんだと知らなければなりませんね。当たり前と
思っていた事が、実は大変な苦労によって成り立っているという事を知る事が出来たならば、当たり前という事は、
よろこぶ事に値する出来事なんだと教えて下さっています。 なんまんだぶ