2013年4月

 

 今年になってすでに二回実家に行きました。一月には連れ合いとふたりで。その際には兄弟が

揃って両親のお祝いをしました。先月は両親の鹿児島旅行のおともをする為に私だけで行きまし

た。鹿児島へは私も行った事がなく旅行プランは両親の希望をきいた上で私がたて手配をしまし

た。そして後は出発を待つだけとなった段階で、母がいつもの通院で病院に行くと「すぐ入院し

なさい」「入院のしたくも何もしていないので一度家に戻らせてください」とお願いしても「だ

めです。とんでもありません」と言われ緊急入院をしました。入院をして少し落ち着いた頃に母

は先生に「来月、鹿児島へ旅行に行く予定なんですが」と訊いたそうですが、「無理です」と言

われ、私の初めての鹿児島旅行はキャンセルとなってしまったのですが、マイルを貯めてタダで

飛行機に乗る段取りをしていた私は、どうせ飛行機をキャンセルしても取り消し分のマイルは引

かれるし、日程の調整もつけていたので実家へ母の見舞いに行って来た次第でした。私が行く頃

には薬が合いすでに退院をしていました。母が入院している間一番大変だったのは父のようでし

た。自分がしっかりしなければと頑張りすぎたようで後から疲れがいっきに出て点滴をするやら

大変だったようです。人は誰しも年をとりますが、小さな子どもがおとなへと成長していく時と

いうのは楽しみなものです。しかしながら若者から段々と老いを重ねて行く時は明るい希望のよ

うなものはあまり感じないのではないでしょうか。目が見えにくくなる、耳が聞こえにくくなる、

歯も衰えて硬いものが噛めなくなる。体力は衰え、力は無くなり、病気を患い、身体の自由が利

かなくなってくる。そして、ついには死をむかえなければならない。お釈迦さまが説かれた〔生・

老・病・死〕の誰しも避けて通る事の出来ない《四苦》であります。しかし、考えなくて済む時

には出来るだけ遠ざけて考えようとしない。見て見ぬ振りの日暮しが送られるのであれば見ない

ようにしたい。これが私の本性でありましょう。我が道を歩む人生とは、闇の中にあって闇の中

だと気付かずに送る人生でありましょう。闇を照らす光に出遇ったならば、今までの闇が打ち破

られるのであります。暗いと何も見えませんが、明るくなるとはっきりと見ることが出来るよう

になるのであります。真っ暗闇を歩く時はどっちに進めば良いのか不安で恐ろしくてたまりませ

んが、歩む方向がはっきりと示され見えていれば安心して確実に歩を進める事が出来ます。いま

親の老いる姿を見ながらいつまでも若くて元気な親がいる訳ではない事を知ります。人生は苦で

ある。《一切皆苦》形あるものは必ず滅びる、すべてのものは移り行く。《諸行無常》これらを

思う時、苦悩の人生を生き抜く私にお育てくださるご本願に出遇えて良かったといえる人生を歩

ませていただきたいですね。       なんまんだぶ

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