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    <title>浄土真宗本願寺派　本光寺</title>
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    <subtitle>蘭北山　本光寺は室蘭市本輪西町にある浄土真宗本願寺派の寺です。</subtitle>
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    <title>光に遇うと 光をもたない星までが 輝きを放つ - 今月のことば</title>
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    <published>2023-09-30T21:01:56Z</published>
    <updated>2023-09-30T21:04:48Z</updated>

    <summary> 	 	　新幹線が開業して来年で60年になります。1964年の東京オリンピックに...</summary>
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        <name>本光寺</name>
        
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        <![CDATA[<p>
	<a href="http://honkouji.info/kotoba/kotoba/202310s.png"><img alt="202310s.png" class="mt-image-none" height="99" src="http://honkouji.info/kotoba/assets_c/2023/10/202310s-thumb-150xauto-1034.png" width="150" /></a></p>
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	　新幹線が開業して来年で60年になります。1964年の東京オリンピックに間に合わせるように10月1日開業、10日オリンピック開幕だったようです。私はまだ生まれて2ヶ月でしたがそんなわたしも来年60歳です。開業時の60年前は時速210km、東京大阪間を約4時間で結び、翌年には最高速度220km3時間10分で走ったそうです。名前はひかり号とこだま号でしたね。早い方がひかり号です。音よりも光の方が速いんですね。光だとあっという間に届くように思いますが、光の進むスピードで一年かかる距離を一光年と言いますよね。先日インターネットテレビを何気なく見ていて「宇宙戦艦ヤマト」を見つけました。約50年前のアニメです。西暦2199年地球は謎の星ガミラスからの攻撃を受けて焦土となり放射能に汚染され滅亡まで一年を残すところから話が始まり、14万8000光年離れたイスカンダル星に宇宙戦艦ヤマトが放射能除去装置を受け取りに行くというストーリーです。まず西暦2199年なんてまだまだ遠い先の話で、ピンとこない未来の事なんだなと子ども心に感じていましたが、なんと176年後の話です。あのドラえもんは2112年9月3日生まれで未来からタイムマシーンでやってきたという設定です。ドラえもんについてはもう90年を切った状態なんですね。どちらももしかしたら本当にあるんじゃないだろうかというような絶妙な設定だと思えてきました。176年後の地球は、ガミラスからの攻撃はないかもしれませんが、氷河は溶け海水も蒸発してすべてが枯れた地球になっているかもと思ってしまいます。温暖化が進み永久凍土が溶けて地中に封じ込められていたいろいろなものが地表に出てくると一体どんなことになるんだろうか。今の綺麗な青い地球は保たれるのだろうか心配になってきます。今はまだ太陽の光が地球に届き全てのものを映し出してくれていますが、いつまでも綺麗な地球を映してくれることを願うばかりです。人類は温暖化ガスであるフロンガスによって地球温暖化を加速させ、オゾン層の破壊もすすませて紫外線が強くなり人体への悪影響も心配されています。光があたらないと私たちはものを認識することはできません。太陽の光をうまく利用しようとした人類ではありましたが、コントロールできているかと言うと難しい状況ではないでしょうか。いまからでも上手くコントロールしなければいけないですね。自然界では光があたらないところは影になって見る事認識することができません。光が当たっているところだけが見えています。見たくないもの見せたくないものは光をあてなければこっそりと隠しておくこともできます。わたしなど見られたくない事だらけです。そこで阿弥陀様の智慧の光に遇うと影ができないんだそうです。みたく無い事も隠しておきたいことも全て自分の事と受け止めていかなければならないんです。自己中心的な考え方で身勝手な振る舞いしかできないわたしの本性。お恥ずかしいことです。そんなわたしの暗闇を破ってくださる阿弥陀様を智慧光仏とも名付けられたんだそうです。　　</div>
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	　　　　　なんまんだぶ</div>
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    <title>数えきれないほどのお米の一粒々々がいまこの茶碗の中に私のために - 今月のことば</title>
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    <published>2023-09-01T06:42:12Z</published>
    <updated>2023-09-01T06:48:10Z</updated>

    <summary> 	 	数えきれないほどのお米の一粒々々がいまこの茶碗の中に私のために 	　育毛...</summary>
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        <name>本光寺</name>
        
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        <![CDATA[<p style="margin: 0px; text-align: justify; font-stretch: normal; font-size: 12.3px; line-height: normal; font-family: &quot;Hiragino Mincho ProN&quot;; font-size-adjust: none; font-kerning: auto; font-variant-alternates: normal; font-variant-ligatures: normal; font-variant-numeric: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-position: normal; font-feature-settings: normal; font-optical-sizing: auto; font-variation-settings: normal; color: rgb(0, 0, 0);">
	<a href="http://honkouji.info/kotoba/kotoba/202309s.png"><img alt="202309s.png" class="mt-image-none" height="106" src="http://honkouji.info/kotoba/assets_c/2023/09/202309s-thumb-150xauto-1032.png" width="150" /></a></p>
<div>
	数えきれないほどのお米の一粒々々がいまこの茶碗の中に私のために</div>
<div>
	　育毛剤のコマーシャルで、21日間温めただけでひよこが生まれるタマゴ。そこから抽出した成分に驚きの効果があるんだというのがあります。ご覧になった方も多いと思います。確かにタマゴを温めるだけでヒヨコが誕生するのはすごいですよね。生命誕生の不思議さを感じます。タマゴといえば、イクラやタラコを食べる時にふと考えることがあります。この一粒一粒が鮭や鱈として産まれるんだよなと。タラコ一腹を食べると一体何粒の卵を食べているんだろうと思うことがあります。調べてみると約60グラムのタラコで20万粒くらい入っているそうです。たらこは大好きです。今までにいったい何万粒の鱈の卵を食べただろう。いや、何百万、何千万、何億粒の鱈になる命をいただいてきました。食事をするということは命をいただいているということに他ならないですね。動物だけじゃなく植物にだって命がある訳で、お米にだって命がありますよね。保育所の子どもたちが年長さんになると稲作体験を通して食育を学びます。春、田植えをする前にお米が出来るまでについて座学をしてから実際に田植えをし、田植えの大変さを実感します。夏、水の管理や病気にならないように手をかけて手をかけて大切に育てられていることを学び、稲の生長観察をします。秋には稲刈りをし、稲穂を乾燥させて脱穀し、あまりの収穫の少なさに大変さを実感します。私も数えたことはありませんでしたが、一本の稲の穂には約70粒の籾が実るんだそうです。脱穀した籾を籾摺りして玄米に、玄米を精米して白米に、白米を炊飯してご飯に、ご飯をおにぎりにしていただきます。自分たちで植えた苗に米が実りおにぎりにしていただくまでを体験することで、食事をする時、茶碗にもられたご飯を見て、目に見えていない部分に目を向けることの大切さを学びます。子どもたちはあんなに頑張ってた田植え稲刈りをしたのに穫れたお米の少なさに稲作の大変さも学びます。普段自分がいただいているご飯がどれだけの人の手を介してえられた食事なのか、どれだけの命をいただいていることなのかを学びます。「多くのいのちとみなさまのおかげにより、このご馳走を恵まれました。深くご恩をよろこびありがたくいただきます」と食事の言葉の意味を実感できるようになってほしいと願い毎年続けています。茶碗一膳にお米が約3,250粒だそうです。稲一株に稲22本の穂がみのるとすると約2.1株の稲でお茶碗一膳分のご飯になるんだそうです。近年SDGsを推進していてもまだ、日本では本来食べられるものが廃棄される食品ロスが5～10%程度あると推定されるそうです。食品ロスの1番の原因は食べ残し。家庭からでる食品ロスは全体の30%を占めているそうです。見えないものに眼を向けて、見えてこないことに思いを寄せることで見えてくるものがあるにもかかわらず見てこなかった私です。</div>
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	　　　　　なんまんだぶ</div>
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	レンジでチンするご飯は100円しません。どうなってんだろう。　　</div>
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    <title>悪人正機 この私がめあて - 今月のことば</title>
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    <published>2023-07-31T23:30:19Z</published>
    <updated>2023-07-31T23:31:31Z</updated>

    <summary> 	 	　「悪人正機」とは悪人が救いのめあてだという教えです。歎異抄第三条に「善...</summary>
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        <name>本光寺</name>
        
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        <![CDATA[<div>
	<a href="http://honkouji.info/kotoba/kotoba/202308s.png"><img alt="202308s.png" class="mt-image-none" height="98" src="http://honkouji.info/kotoba/assets_c/2023/08/202308s-thumb-150xauto-1030.png" width="150" /></a></div>
<div>
	　「悪人正機」とは悪人が救いのめあてだという教えです。歎異抄第三条に「善人なほもつて往生をとぐ。いわんや悪人をや（善人でさえ往生することができるのです。まして悪人は言うまでもありません）」とあります。ここで言われる『悪人』とは、悪い事をした人のことでしょうか。そうだとすると納得いかないですね。正直者が報われないではないですか。悪人正機の悪人とはどのような意味があるのでしょうか。</div>
<div>
	　さて、私が携帯電話を持ちはじめて約30年になります。どこにいても連絡が取れるようになりました。すぐに用事をたすことが出来ます。便利な世の中になりましたが不自由さを感じることもよくあります。私の急ぎの用事なんて翌日に解決すれば問題ない程度だったのに、どこでも連絡が取れるようになると今日中の仕事になってしまいました。今ではほとんどの人がスマートフォンを使用し情報を手にいれ、人とのコミュニケーションをとる社会となりました。スマホが無ければ生活できない社会環境になりつつあります。エスコンフィールド北海道のように現金での支払いは一切できないという所もあります。スマホを手放せない現代人、知りたい情報がすぐに手に入る現代社会。情報量が莫大に多くなり情報のスピードも格段に速くなりました。しかし、物心ついた時から高度な高速情報社会の中で育ってきた世代は、この情報量とスピードが普通の事なんでしょうね。スマホが普及する以前のマスメディアだけでは得られなかった情報もSNS（ソーシャルネットワーキングサービス）などを利用すると寸時に大量に得ることができます。たとえば残虐な殺人が起きたとするとさまざまな角度から情報がアップされます。個人情報がネット上に流出し被害を受けたりもします。犯罪が多様化し複雑になり悪質になっているようで心配になります。世の中から悪事は無くならないのでしょうか。『悪人正機』の悪人とは、こういった事件の当事者、犯罪者を意味するのでは納得いかないですね。今月の法語では、この私がめあてと言われています。私は残虐な事件を起こすような悪人ではありませんが、しかしどうでしょうか、絶対に人殺しはしてはいけないことだと分かっていても、今まさに相手を殺さなければ自分が殺されるという極限状態に中では殺してしまうこともあるでしょう。愛しい人の命が奪われたとしたら人殺しをもしかねません。縁が整えば人も殺しかねない私。心の中であの人さえいなければいいのになとか、言ってはいけない一言を言ってしまいそうになる事がありませんか。でも思いとどまり言葉にも行動にも出さずにいるのが私の本性です。そこには反省など微塵もありません。お粗末な私です。私にとっていい人悪い人、外にばかり目を向けて、周りの人を判断している私。しかし実は自分の事を見つめたくないだけ、煩悩に眼がさえぎられて本当の姿が見えていない私です。『悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり（悪い本性はなかなか変わらないのであり、それはあたかも蛇やさそりのようである。）』親鸞聖人の正像末和讃のお言葉です。蛇やさそりには悪いけれどそれが私の本性です。蛇蝎でしかない私です。　　　　なんまんだぶ</div>
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    <title>うるおいのある目で見なかったら ほんとうのことは何も見えない - 今月のことば</title>
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    <published>2023-07-03T23:11:59Z</published>
    <updated>2023-07-03T23:13:50Z</updated>

    <summary> 	 	　今月下旬に京都へ行く用事があります。真夏の京都はうだるような暑さだろう...</summary>
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        <name>本光寺</name>
        
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        <![CDATA[<div>
	<a href="http://honkouji.info/kotoba/kotoba/202307s.png"><img alt="202307s.png" class="mt-image-none" height="108" src="http://honkouji.info/kotoba/assets_c/2023/07/202307s-thumb-150xauto-1028.png" width="150" /></a></div>
<div>
	　今月下旬に京都へ行く用事があります。真夏の京都はうだるような暑さだろうと思います。近年北海道も暑くなってきたとはいえ比較にはならないでしょう。楽しみな様な怖い様な。夏の京都の風物詩に鴨川の床があります。お店の鴨川に面した側に足場を組み、川の上に床をはって屋外の席を作り、涼みながら食事をしたりお酒を飲んだりする京都らしさを満喫できる場所です。五月の慶讃法要参拝の際には、四条大橋のたもとの床で美味しい中華と紹興酒をいただきました。今回もまたどこか違うお店の床へ行きたいなと思っています。陽が沈んでも極端に気温が下がる訳でもありませんから、物理的に涼しいというよりは、川のせせらぎや川面をつたう風に感覚的な涼しさを感じる効果があるんでしょう。それらに心がうるおされて気持ちが穏やかになって涼しさを感じるのではないでしょうか。心のうるおいは大事ですね。うるおいとは、ゆとりと考えてもいいんじゃないでしょうか。心にゆとりが無いと本来見なければならない事を見失う事がよくあります。コロナが５類に移行して2ヶ月ほど経ち移動する方も増えてきました。先日も駅で切符を買うのに並んでいましたが発車時間間際になると乗り遅れるんじゃないだろうかと心配になりイライラして心のゆとりなを無くし、駅員さんが切符の確認の説明をしてくれていても早くホームに行かなければと思ってしまい説明も上の空になっていました。結局、お得な切符を買い損ねました。見ているようで見ていない、聞いているようで聞いていないんですね。わたしがわたしの目で見ているというのは、景色に光が反射して眼球をとおして入ってきて見えている訳ですが、その光景の意味しているものを見るには、うるおいのある目、心のゆとりが無いと本来の意味を見ることは出来ないでしょう。暑い夏の最中に、屋外に屋根もない床を作ってそこで飲食をする鴨川の床。仮設の作りでがっしり感も無ければ高価な感じもしないのに、多くの人が訪れるのは、床の持つ川面の風やせせらぎの音に涼しさを感じるという心にうるおいを持って本質を見る事、感じる事ができるから長く続く京都の夏の風物詩なんでしょう。そういえば親鸞聖人御誕生850年慶讃法要に合わせて京都国立博物館で親鸞聖人の特別展が開催されていました。たくさんの宝物が展示されていました。じっくり時間をかけてひとつひとつ見てきました。何が一番印象深かったかと訊かれると答えに困ってしまいます。どれも見応えのあるものばかりで選ぶのが難しいのと、音声解説機から流れる解説に頼りっぱなしで自分のペースでじっくりと観ていなかったせいで印象に残らなかったのだろうか。しかし親鸞聖人やお弟子さんたちの坐像が並んでいたのは迫力がありました。　なんまんだぶ</div>
<div>
	&nbsp;</div>
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    <title>小さな勇気でいいから わたしはそれがほしい - 今月のことば</title>
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    <published>2023-06-01T08:02:41Z</published>
    <updated>2023-06-02T02:06:44Z</updated>

    <summary> 	 	　電車やバスで席を譲ろうとしたら座らなくても大丈夫だと断られたり、反対に...</summary>
    <author>
        <name>本光寺</name>
        
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        <![CDATA[<div>
	<a href="http://honkouji.info/kotoba/kotoba/202306s.png"><img alt="202306s.png" class="mt-image-none" height="96" src="http://honkouji.info/kotoba/assets_c/2023/05/202306s-thumb-150xauto-1026.png" width="150" /></a></div>
<div>
	　電車やバスで席を譲ろうとしたら座らなくても大丈夫だと断られたり、反対に自分が譲られて断ってみたり、良かれと思った行為も相手にとってありがた迷惑になるという事がよくあります。プライドを傷つけないように配慮する事も必要だし、本当に難しいと悩んでしまいます。親切でした事も親切の押し付けになりかねない世の中になってきてはいないでしょうか。先日テレビを見ていたら、人は与えられた役割によって行動などが変化する「役割効果」ということについて実証実験をしていました。映画スーパーマンに扮して役を演じる前と後でその人の行動が変わるのかという実験でした。スーパーマンを演じる前には、ベビーカーを持って階段を降りるのに苦労している人を見ても見ぬふりをしていましたが、スーパーマンを演じた後は、ベビーカーを運んであげたり、ひったくりにあった人がいれば犯人を捕まえたりと困っている人がいたら即座に手助けをするようになっていました。役割を与えられると役割を無意識に果たすようになるのだそうです。確かに会社などにおいては立場が人を作るとも言います。会社の社長さんになれば社長さんらしい振る舞いをしなけばならないし、それらしい振る舞いができるようになるんじゃ無いでしょうか。私もお寺の住職と保育所の理事長という立場で毎日を過ごしていると、お会いする方も私のことをそういう立場にいる者だとして応対してくださるので、私も自ずとそんなふうに振る舞う事ができます。しかし実際の私の中身なんか世の中の肩書きとはかけ離れています。にも関わらず皆さんは肩書きも基づいて応対してくださいます。まことに申し訳ないなと思いつつ毎日過ごしています。「役割効果」の実証実験を見て日常生活の中で、私は人として困っている方がいればお手伝いをするという基本的なことが実践できているだろうかと振り返ってみてもお粗末な私の姿しか見えてきません。ベビーカーを押しながら階段で困っている人がいるとしても、そばに駆け寄り「お手伝いしますよ」の声掛けが出来ないかもしれません。お手伝いをしてあげようと思ってもその行為が仇になる事もよくあります。しかしだからと言ってお手伝いはしないとはなりません。困っている相手の方の立場になって気持ちを推察して行動するそんな勇気を持ちたい。照れや恥ずかしさ色々あるけれど本当に困っている人が目の前にいるならば、まずは勇気を出して積極的にコミュニケーションを図っていきたいと思います。そんな小さな勇気が受け入れられる人間関係、世の中であり続けなければいけないですね。相手の事を思っての行為は報われなければいけない事だし仇で返されてはいけない事。ありがとうと喜んで受け入れてもらえれば、私も小さな勇気を持つ事ができるようになれると思います。　　　　なんまんだぶ</div>
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    <title>自分は自分の主人公　光いっぱいの自分にしていく責任者 - 今月のことば</title>
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    <published>2023-05-01T02:34:55Z</published>
    <updated>2023-04-30T14:54:32Z</updated>

    <summary> 	 	　プロ野球が開幕してひと月経ちました。北海道日本ハムファイターズは北広島...</summary>
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        <name>本光寺</name>
        
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        <![CDATA[<p style="margin: 0px; text-align: justify; font-stretch: normal; font-size: 12.2px; line-height: normal; font-family: &quot;Hiragino Mincho ProN&quot;; color: rgb(0, 0, 0);">
	<a href="http://honkouji.info/kotoba/kotoba/202305s.png" style="font-family: Arial, Verdana, sans-serif; font-size: 12px;"><img alt="202305s.png" class="mt-image-none" height="106" src="http://honkouji.info/kotoba/assets_c/2023/04/202305s-thumb-150xauto-1024.png" width="150" /></a></p>
<p style="margin: 0px; text-align: justify; font-stretch: normal; font-size: 12.2px; line-height: normal; font-family: &quot;Hiragino Mincho ProN&quot;; color: rgb(0, 0, 0);">
	　プロ野球が開幕してひと月経ちました。北海道日本ハムファイターズは北広島に出来た新球場をホームグランドに戦っていますがなかなか思うような成績を残せていないですね。せっかく新しい球場をホームグランドにした事だし頑張って欲しいですね。新しく出来たエスコンフィールド北海道は野球を観戦する事はもとより、『北海道ボールパークＦビレッジ』の名前の通り、観る食べる遊ぶ体験するショッピングに宿泊まで出来るスペースになっていて、とにかく楽しい場所なだけにファイターズには頑張って欲しい。強くなければ足が向かなくなってしまいます。惜しい悔しい残念な試合を減らすには、ここでタイムリーヒットを打てる代打の切り札がいてくれればと思う事があります。野球は駆け引きで流れが大きく変わる事があるだけに切り札は必要ですね。しかし代打のスペシャリストは誰にでも出来る役割ではありません。そこで私の代わりはいるかなと考えてみます。寺の住職や保育所の理事長という私の役職の代わりはすぐに探す事が出来ます。しかし、私という人格を変わる事が出来る人は私しかいません。誰も変わる事ができない私という存在。自分が自分の主人公であって代役がききません。変わりがいないのだから、自分に責任を持たなければいけないですね。輝かせるのか曇らせるのか熟成させるのか腐らせるのか。自分次第でどんな風にでもなれます。そうなってくると自分の舵取りって難しいですね。どっちの方向へ進めばいいんだろうか。今の自分の姿はどんな状態、状況だろうか。しっかりと光があたって自分の姿が見えていないと、どこをどう輝かすのか、どんな自分を歩んでいくのか。例えば人生という舞台上のどの位置に立ってスポットライトを当てれば光いっぱいに輝けるだろうか。企画・演出・主演の全てが自分という舞台。その舞台を創り上げる責任者。さだまさしさんの曲に「主人公」という曲があります。昔を懐かしく振り返り輝いていた自分に出会う。もしもあの時ああしていたならばと自身の選択を振り返る。けれども自分で選んだ道だから今の人生を悲しむつもりはないし、自分で責任を取らなければ誰も責任は取ってくれない。誰もがみな主人公なんだと歌っています。今までいくつもの取捨選択を繰り返しながら暮らしてきました。誰も変わってくれない私の人生の主人公で演出家の私は、自分を光り輝かせるためにこれまで多くの人生の選択をしてきました。光のない舞台だと私の姿は周りの人に見えないし、自分が舞台のどこに立っているのかもわかりません。光がなければ舞台でどんな主人公を演じても輝きはしません。私を照らしてくれる人生の光に常に照らされていることに、主人公であり演出家でもある私は責任を持たなければ。　なんまんだぶ</p>
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    <title>大きな 大きな しあわせのどまんなか - 今月のことば</title>
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    <published>2023-03-31T23:06:15Z</published>
    <updated>2023-03-31T23:07:29Z</updated>

    <summary> 	 	　新年度が始まりました。北海道にも春がやって来た感じがします。しかし、本...</summary>
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        <name>本光寺</name>
        
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        <![CDATA[<div>
	<a href="http://honkouji.info/kotoba/kotoba/202304s.png"><img alt="202304s.png" class="mt-image-none" height="93" src="http://honkouji.info/kotoba/assets_c/2023/04/202304s-thumb-150xauto-1022.png" width="150" /></a></div>
<div>
	　新年度が始まりました。北海道にも春がやって来た感じがします。しかし、本州とは気候も気温も違うから春の受け止め方というか、イメージが違うなと言うのを北海道に住むようになってからずっと感じていました。例えば先月の春のお彼岸といえば、私が生まれた広島や、京都では桜が咲きはじめる季節、洋服の色も明るめになり薄着になっていく時期です。一方、北海道は雪が降らなくなる時期、氷点下にならなくなる時期といった感じではないでしょうか。今年は特に寒さが身に染みる年だったように感じました。年々寒さに耐えられなくなって来ているなと思います。防寒用のアウターは、とにかく暖かいものを選び見かけよりも実益を取るようになりました。前々から気になって欲しくて仕方ないダウンジャケットをこの冬ついに買いました。高かったですが、極寒の中でも寒くなく本当に暖かくてびっくりしました。こんな小さな幸せを感じた出来事がありました。春四月に冬の話で失礼しました。</div>
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	　コロナウィルスの感染防止対策も大きな転換期を迎え、コロナ以前のようなお花見も再開し、気の置けない仲間と酒を酌み交わしながらの時間は、贅沢で幸せな時間と言えるのではないでしょうか。また、若い頃はお腹いっぱい焼肉が食べられると幸せを感じましたが、いまならお腹いっぱいお肉を食べられなくても本当に美味しいお肉が味わえれば幸せだなと感じます。幸せの感じ方、受け止め方は人それぞれであり、自分自身の中でも時と場所、環境や条件でコロコロ変わるものです。美味しいものを食べたい。大好きなことに没頭したい。次から次へと湧いてくる欲望を満たすために、毎日頑張って思いが充足されれば幸せだなと感じ、願いが叶えば嬉しくなり喜んで、叶わなければ嘆き悲しみ、愚痴を言い不平不満だらけの日々を送る。私が幸せを願うという行為が、そのまま私の中で苦しみを生み出しています。その構造こそ「煩悩具足の凡夫」と言われる所以でしょう。どこまでいっても消えることのない煩悩の炎、ひとつ満たされればまた新たな欲望が芽生えてくる。次から次へと湧き出て来ます。親鸞聖人は「『凡夫』といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、（一念多念証文）」と、死ぬまでたくさんひっきりなしに繰り返されると示されています。貪りや怒りや愚痴を無くすことが出来ない私が、その悩み苦しみを超えて生きることが出来たならどれほどの安らぎを得る事ができ幸せを感じる事ができるだろう。自分の都合で生きているにも関わらず、そんな私がゆるされて生かされていると気付けたなら、そこが大きな大きなしあわせのどまんなかではないだろうか。手で捕まえたしあわせはすぐ消えちゃう。消えないしあわせがいいな。　　なんまんだぶ</div>
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	&nbsp;</div>
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    <title>子どもが親を ほんとの親にしてくれる - 今月のことば</title>
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    <published>2023-03-01T03:03:54Z</published>
    <updated>2023-02-28T21:51:08Z</updated>

    <summary> 	 	　「親」という字を漢和辞典で引いて見ました。「見」が部首で「辛」と合わせ...</summary>
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        <name>本光寺</name>
        
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        <![CDATA[<p>
	<a href="http://honkouji.info/kotoba/kotoba/202303s.png"><img alt="202303s.png" class="mt-image-none" height="96" src="http://honkouji.info/kotoba/assets_c/2023/02/202303s-thumb-150xauto-1020.png" width="150" /></a></p>
<div>
	　「親」という字を漢和辞典で引いて見ました。「見」が部首で「辛」と合わせた文字のようです。「見」は目を離さない。「辛」は肌身を刺す鋭いナイフを描いた象形文字で、「親」という字はナイフで身を切るように身近に接して見ていること。じかに刺激をうける近しい間がらの意味だそうです。漢字ってよく考えられて出来ているなとつくづく思います。「親」は我が身を削ってすぐそばで見守る存在ということなんですね。いつまでも親に経済的支援をうける「すねかじり」であっても、かじって削ぎ落とされてもなんとかしてやりたい見守り続けたいというのが親なんでしょうね。ちょっと調べた中には「親」という字そのものには血縁関係の有無については書かれていませんでした。医学的な父母の関係にある人が親であるとは書いてありませんでした。世の中のニュースと見ていると、育児放棄や我が子に対する虐待、親が子どもを殺したとか、「親」という字が持つの本来の親の意味からすると、本当の親とは子どもを産んだだけでは親とは言わないですね。</div>
<div>
	　キタキツネの子育ての話を聞いた事があります。キタキツネは春に生まれた子どもが無邪気に遊んでいる時も親キツネは常に当たりを警戒し守り、食事もそれこそ子どもに食べさせるために自分は食べなくても我慢できる。まさに我が身を削ぎながら側で見ている。夏が過ぎ秋になってくると、一緒に行動していた狐の親子に子別れの時期が来ます。それまで優しかった母親が、躾のための甘噛みではなく本気で何度も噛みつき親離れをさせ、冬を迎えるまでに独り立ちさせるそうです。大自然の中では、いつまでもすねかじりはしていられません。親キツネも自分のテリトリーから追い出して、餌を確保しなければいけません。もし、子キツネを自分のテリトリーの中に残したとすれば、餌は足りなくなり親子そろって痩せ細り厳しい冬を越せなくなってしまいます。種の保存のための本能が働いて必死に子育てをするキタキツネの親。子どもの成長といのちを守ることを第一に考えて子育てをする親キツネ。自立できなければ寒い冬をむかえて痩せ細って生きていく事ができない子キツネ。親を親たらしめるのは、守らなければならい子どもがいる事で、親になっていくんですね。しかし、なんでも手に入る現代社会、快適な環境で生活できる文明に生きている私たちは、それが当たり前のことのように錯覚した日々を過ごしています。食べ物は食べきれずに捨てるだけ有って、子どもが欲しいと言ったものは何でも買い与える。子どもがして欲しいと思うことはなんでも先回りしてしてしまう。子どもを甘やかすだけ甘やかして、自分がいなければダメな子なんですと言わんばかりに自主性を失わせる。結果いつまでたってもすねかじりになっていませんかね。ほんとに「親」にしてくれるのは子ども。　なんまんだぶ</div>
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    <title>春を信じて冬を生きている - 今月のことば</title>
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    <published>2023-02-01T06:53:07Z</published>
    <updated>2023-01-31T23:07:47Z</updated>

    <summary> 	 	　「岡、エースをねらえ」テニスを題材にした漫画に出てくるセリフです。主人...</summary>
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        <name>本光寺</name>
        
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        <![CDATA[<p style="margin: 0px; text-align: justify; font-stretch: normal; line-height: normal; font-family: &quot;Hiragino Mincho ProN&quot;; color: rgb(0, 0, 0);">
	<a href="http://honkouji.info/kotoba/kotoba/202302s.png"><img alt="202302s.png" class="mt-image-none" height="96" src="http://honkouji.info/kotoba/assets_c/2023/01/202302s-thumb-150xauto-1018.png" width="150" /></a></p>
<p style="margin: 0px; text-align: justify; font-stretch: normal; line-height: normal; font-family: &quot;Hiragino Mincho ProN&quot;; color: rgb(0, 0, 0);">
	　「岡、エースをねらえ」テニスを題材にした漫画に出てくるセリフです。主人公の岡ひろみが海外の大会に出場するために飛行機に乗ろうとする時、コーチの宗方仁が亡くなりこの言葉が岡ひろみに聞こえてくる場面です。中学生の頃アニメが放送されて見始めてコミック本も買い揃え読破していました。漫画といえども色々と名言も出てきます。「冬来りなば春遠からじ」を覚えたのもこの漫画でした。今回エースをねらえについて書こうと思い調べなおしていると重大なことに気づきました。いままでこの言葉は、中国とか日本の高僧のどなたかが言われたものだろうと勝手に思っていましたが違っていたようです。実はこれはイギリスの詩人シェリーという方の詩が出典で、彼の長詩「西風に寄せる歌」の最末尾に、「If Winter comes, can Spring be far behind ?」とあるものを訳したものだそうです。 寒く冷たい冬であっても必ず暖かい春がやってくる。終わらない冬はないし、必ず春がやってくるんだと望みを持つことで冬を乗り切ることができる様になると言う事でしょう。春を信じて冬を生きるという事は、冬のあとには春がやって来るんだとただ鵜呑みに信じますということではなく、春が冬を生きることによっていよいよ春らしい輝きを増してくるのではないでしょうか。「信じて生きる」という事を考えてみる時、歎異抄第二条に<span style="font-stretch: normal; font-size: 10px; line-height: normal; font-family: &quot;Hiragino Maru Gothic ProN&quot;;">「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと（法然）の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したまふべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申すむね、またもつてむなしかるべからず候ふか」</span><span style="font-stretch: normal; font-size: 10px; line-height: normal;">（この親鸞においては、ただ念仏して、阿弥陀仏に救われ往生させていただくのであるという法然上人のお言葉をいただき、それを信じているだけで、他に何かがあるわけではありません。念仏は本当に浄土に生まれる因なのか、逆に地獄に堕ちる行いなのか、まったくわたしの知るところではありません。たとえ法然上人に騙されて、念仏したために地獄へ堕ちたとしても、決して後悔は致しません。なぜなら、他の行に励むことで仏になれたはずのわたしが、それをしないで念仏したために地獄へ堕ちたというのなら、だまされたという後悔もあるでしょうが、どのような行も満足に修めることのできないわたしには、どうしても地獄以外に住み家はないからです。阿弥陀仏の本願が真実であるなら、それを説き示してくださった釈尊の教えがいつわりであるはずはありません。釈尊の教えが真実であるなら、その本願念仏のこころをあらわされた善導大師の解釈にいつわりのあるはずがありません。善導大師の解釈が真実であるなら、それによって念仏往生の道を明らかにしてくださった法然上人のお言葉がどうして嘘いつわりでありましょうか。法然上人のお言葉が真実であるなら、この親鸞が申すこともまた無意味なことではないと言えるのではないでしょうか）</span>とあります。「信じる」ということは地獄以外に住み家はありえないわたしの煩悩具足の姿が、嘘いつわりが本当の事によってはっきりと見えてくるように、本願真実によって照らしだされる。その本願真実を信じること。親鸞聖人のおける「信じて生きる」とは、法然上人のお言葉をいただき、本願念仏のこころを聴き、念仏往生の道に生きるということ。　　　　なんまんだぶ</p>
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    <title>「よろこび」をいっぱい袋に貯える年にしよう - 今月のことば</title>
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    <published>2022-12-31T23:59:29Z</published>
    <updated>2023-01-01T00:01:15Z</updated>

    <summary> 	 	　新しい年を迎えて誕生日が来れば満59歳になります。数えの六十歳です。数...</summary>
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        <name>本光寺</name>
        
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	<a href="http://honkouji.info/kotoba/kotoba/202301s.jpg"><img alt="202301s.jpg" class="mt-image-none" height="99" src="http://honkouji.info/kotoba/assets_c/2023/01/202301s-thumb-150xauto-1016.jpg" width="150" /></a></div>
<div>
	　新しい年を迎えて誕生日が来れば満59歳になります。数えの六十歳です。数えで言うと還暦を迎えました。数え年は生まれた時が１歳で、正月が来たらひとつ歳を足していく計算になりますから還暦ということになりました。ちなみに12月31日生まれの子は生後２日目で2歳になります。最近では満年齢で還暦を数える方がほとんどでしょうからまだ還暦ということにはならないのかもしれませんが、しかしもうそんなことを話題にする歳になったんだなと思うと不思議な感覚です。子どもの頃見ていた60歳の方はもっと大人に見えていました。自分はこんなんでいいんだろうか？と情けなくなることがあります。昔は60歳を迎えるのが大変なことだったんでしょうね。今は人生百年時代と言われ始めましたから一生の時間の長さが40年も違うという事はやはり昔の方は、人生の重みというか厚みというか人生の味わい方が現代の私たちとは違うんじゃないかと思います。「よろこび（慶び）」の味わい方、受け止め方、感じ方も違うんでしょう。そんな60歳を迎えることが大変であったであろう時代に90年の生涯を生きられた親鸞聖人。もしもタイムマシーンがあるならばお釈迦様とともに絶対にお会いしたい方です。2023年はそんな親鸞聖人がご誕生されて850年の節目の年に当たります。京都のご本山、西本願寺では３月29日から5月21日までの５期30日間慶讃法要が勤まります。親鸞聖人はご苦労の多いご生涯だったと思います。幼くしてご両親と別れ、出家され、時の権力からの弾圧を受けられ流罪に遭われるなど苦難の人生を歩まれました。しかし親鸞聖人は真理に出遇われ苦悩を越える教えに生きられ、慶びの人生を歩まれました。「どうもあいつの言う事が気に入らない」「どうして私の言う事がわからないんだ」と、常に不平不満を持ち続けている私には親鸞聖人の歩まれた人生によろこびを感じる事は出来ません。苦労ばかりの人生であっても、不平不満ばかりの人生であっても、そんな愚かな私であるにも関わらず、多くのおかげによって生かされている事に気付けたならば「よろこび」を感じる事ができる存在になれるかもしれない。親鸞聖人は『たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ&hellip;&hellip;&hellip;ここをもって聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなり』と、教行信証の総序において、聖人が人生を賭けて求められた苦悩の解決の答えがこれであったと書き記された1224年が立教開宗の年とされています。2024年はそれから800年。800年経っても何年経っても変わらないものが真実で、その真実を求めて生きられた親鸞聖人の御誕生850年立教開宗800年に出遇えた事のよろこび、教えに出遇えた事で感じるよろこびを噛みしめ味わう年にしたいと思います。『親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年慶讃法要』にあえてほんとによかった。　　　なんまんだぶ</div>
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    <title>春夏秋冬 いつもありがとう - 今月のことば</title>
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    <published>2022-12-01T03:57:57Z</published>
    <updated>2022-12-01T02:36:11Z</updated>

    <summary> 	 	　「もういくつ寝るとお正月、お正月には凧あげてコマを回して遊びましょう。...</summary>
    <author>
        <name>本光寺</name>
        
    </author>
    
    
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	<a href="http://honkouji.info/kotoba/kotoba/2022.12s.png"><img alt="2022.12s.png" class="mt-image-none" height="104" src="http://honkouji.info/kotoba/assets_c/2022/11/2022.12s-thumb-150xauto-1014.png" width="150" /></a></div>
<div>
	　「もういくつ寝るとお正月、お正月には凧あげてコマを回して遊びましょう。早くこいこいお正月」もうすぐ今年も終わり新しい年がやってきますね。毎年思うことですが一年が速く感じます。一年の計は元旦にありと言ったりしますがなかなか思うようには過ごせません。ままならない毎日の繰り返しで一年が過ぎています。従姉妹が年始に来た帰りの車の中でこの歌を歌っていたと叔母が笑い話として話していた事を思い出します。お正月の終わりかけにもうすでに来年の正月を待ち遠しく思う。確かに子どもの頃お正月は待ち遠しい楽しみなビッグイベントでした。海上自衛隊では、曜日感覚を忘れないために週末にカレーを食べると言われていますが、どうやらもともと週末にカレーを食べていたので、曜日感覚を忘れないようにしていると後から言われるようになったようです。忘れないようにするために週末にカレーを食べているのではなく、もともと週末に食べていたのでカレーが出ると、週末で曜日を忘れないようにしていると言われるようになったんだとか。いずれにしても生活には一定のリズムがあったほうがいいですね。一年の中には節目節目の行事などがあって生活のリズムや励みになっているのは確かです。本光寺の法要や行事で振り返ると、1月の御正忌、3月春彼岸、6月の永代経法要、8月お盆に9月は秋彼岸、10月の報恩講と続きます。報恩講が終わると一年が終わり今年も報恩講をお勤めすることが出来た。無事にどうにか一年過ごすことが出来たなぁと感じます。これから季節は本格的な寒い冬に向かいます。北海道は白い雪が降りさっぽろ雪まつりも開催されます。雪が溶けると花の季節がやって来て新年度も始まります。近年は北海道にも梅雨があります。夏はエアコンが必要なくらい暑い夏になってきました。そして広大な北海道の山々の紅葉は見応えがあります。四季折々の特徴ある日本、とりわけ北海道の四季ははっきりしています。世界の中で四季がこれほどはっきりしているところは無いかと思います。世界中を見て来たわけでは無いのでわかりません。いずれ確認してきたいと思います。行事などによるメリハリ、季節の移り変わりによる変化、これらの刺激を受けて自分の存在を改めて知ることができているんじゃないでしょうか。雪を見ること触ることで天候を知り気温を感じる。花を見ることで心にゆとりができ安らぎを感じる。夏の暑さで作物は成長し、人は木陰で涼み木の存在感を感じることが出来る。秋には美しい紅葉を愛でることができる。紅葉ひとつをとってみても、春に芽吹き夏に成長し秋に色づき落ち葉となり冬に大地に還っていき春の芽吹きの元になる。葉っぱの四季が人の一生と重なって見えてもくる。季節の中での多くの出遇いに、『ありがとう』と言えていないなぁ。ごめんなさい。粗末にしています。　　　なんまんだぶ</div>
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    <title>生かされている 大きなはたらきの中で - 今月のことば</title>
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    <published>2022-10-31T23:59:31Z</published>
    <updated>2022-10-31T21:02:25Z</updated>

    <summary> 	 	　先日、保育所保護者だった方々とゴルフをご一緒しました。楽しい時間でした...</summary>
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        <name>本光寺</name>
        
    </author>
    
    
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	<a href="http://honkouji.info/kotoba/kotoba/2022.11s.png"><img alt="2022.11s.png" class="mt-image-none" height="104" src="http://honkouji.info/kotoba/assets_c/2022/10/2022.11s-thumb-150xauto-1012.png" width="150" /></a></div>
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	　先日、保育所保護者だった方々とゴルフをご一緒しました。楽しい時間でした。しかし年齢が二十歳近く離れている訳ですから体力が違います。おまけに私は日頃運動不足ですから力があふれる若い方々にはついていけないので、無理をせず軽くゆったりとクラブを降りながらのプレーを心がけました。考えてみるとあと二年で六十歳をむかえます。子どもの頃見ていた六十歳の方は、ずいぶんお年寄りだったなと思います。その六十歳がもう目の前にきていると思うとなんだか不思議な感覚です。どこか他人事のような気がします。子どもの頃は一年が長く、なかなか月日が進まないなと思っていたものですが、大人になり日々の忙しさの中で過ごしていたら、一年があっという間に過ぎ去り気づくともうすぐ還暦です。最近では、人生100年時代と言われ始めました。定年退職は65歳とも言われています。もう60歳定年ではなくなるんでしょうか。国民年金の保険料納付期間についても、45年間にして65歳まで納めるようにしようと政府も検討にはいったようです。納付期間が延びたからといってその後の年金額が増える訳では無いでしょう。人生100年としたら受け取る期間も長くなりますしね。負担してくださいと言うのもわからないでもありませんが受け入れ難い。もっとその前に取り組んでおくべき事があるんじゃないだろうかと思ってしまいます。破綻だけは避けてほしい。これまで走り抜けてきた人生を振り返ってみると、あの時どうしてそう出来たんだろうとか、あの時あの人に遇っていなければどうなっていただろう。あの事が起こっていなければ今の私も違っていただろうとか。色々と考えられます。自分の意思で取捨選択をしながら生きているけれど、さまざまな縁が重なり、その縁ひとつひとつがはたらいて、そのどれかひとつでも変われば結果は変わっていたでしょう。私という存在に縁がはたらき結果が生まれます。誰しもそうでしょうが私は幸せに生きたいと思いますし、みんなが幸せであってほしいと願っています。そのために生きていきたい。いま振り返ると地元に保育所がなくなる事になった時、出来るならば私に保育所をやらせてほしいと行動をおこしました。それを支えてくれる人がいました。任せてくれた人がいました。私に任せたのではなく私の支えてくれる人がいたからこそ保育所を始めることが出来ました。自分が動かなければ保育所はできていなかったのではなく、同じ思いで関わり支えてくれる方々がいたから出来上がりました。いま保育所で子どもたちや保護者の皆さん、職員のみんなによって今のわたしの存在が出来上がっています。みんながいてくれて初めてわたしがわたしとして成り立っています。そんなご縁の中で生かされて生きていることに、もうすぐ還暦というこの年になって来て少しだけ分かったような気になっています。なんまんだぶ</div>
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    <title>ほんものはつづく つづけるとほんものになる - 今月のことば</title>
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    <published>2022-10-01T07:52:33Z</published>
    <updated>2022-09-30T22:03:20Z</updated>

    <summary> 	 	　先日面白いニュースを見ました。最新の研究で地球上の蟻の数について少なく...</summary>
    <author>
        <name>本光寺</name>
        
    </author>
    
    
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        <![CDATA[<p>
	<a href="http://honkouji.info/kotoba/kotoba/2022.10s.png"><img alt="2022.10s.png" class="mt-image-none" height="105" src="http://honkouji.info/kotoba/assets_c/2022/09/2022.10s-thumb-150xauto-1010.png" width="150" /></a></p>
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	　先日面白いニュースを見ました。最新の研究で地球上の蟻の数について少なく見積もっても２京匹いるんだそうです。これまでは１京匹と言われおり地球上の人の総重量と同じと言われていたそうですから全ての蟻の総重量の方がはるかに重たいことになるんでしょうか。数で言うと全人口の250万倍の蟻が生息している事になるそうです。地球上にはまだまだたくさんの種類の生物がいる事を思うと人として生まれている事、この両親を親としている事、今この場所にいる事、今同じ時代の中で出遇っている人、すごい稀な中での出来事だなと感じます。人に生まれて仏法を聴ける事はなんともすごい事なんですね。「ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」（ああ、この大いなる本願は、いくたび生を重ねてもあえるものではなく、まことの信心はどれだけ時を経ても得ることはできない。思いがけずこの真実の行と真実の信を得たなら、遠く過去からの因縁をよろこべ）と、教行信証総序のことばを思い出します。とんでもなくすごい事を当たり前だと思っていた事に気付かされます。本物に出遇うと本当の事、真実が見えてくる。</div>
<div>
	「道具屋」という落語があります。生前、数年続けて来ていただいた六代目笑福亭松喬さんの落語は聞き応えがありました。落語は同じ話でも一門によって微妙に中身が変わったりしてそこを聞き比べるのが楽しいものです。「道具屋」の中で、お客が「これはぎぶつやな」&ldquo;ぎぶつ&rdquo;の意味が分からない道具屋は「ぎぶつぎぶつ、正真正銘のぎぶつ、どこへ出しても恥ずかしくないぎぶつ」と太鼓判を押す場面があります。偽物は本物に似せて作られたものですが、本物か偽物かというと偽物です。本物の偽物です。正真正銘の偽物であって、間違いのない偽物という本物になっていませんか。ほんものとは何だろうかと考えることがあります。ごまかしのないもの。手抜きをしないもの。本格的なもの。すたれないもの。長く引き継がれ残っていくものを、世間的には本物と言われるのだろう。人類の歴史の中で構築され引き継がれてきたものは、ごまかしがなく手抜きされていない本格的なものが、本物になっていくんでしょう。これは人類における相対的な中で、みんながそうだよね本物だよねと認め合うものの事ですね。しかし「ほんもの」とは、いつでもいかなる時でも変わらない絶対的なものが、本当の意味での「ほんもの」でしょう。常に変化し続ける世の中である事を説いた仏教。たまたま仏法を聞く身に育てられた。人としてお育ていただいた。たまたま本物に出遇う事ができただけかも知れません。そんな偽物の私の生き様ですが、仏法を聴き続けることで、ほんものになっていく事ができるかもしれない。ならば仏法を聴いていかねば。&nbsp;</div>
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	　　　　　なんまんだぶ</div>
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    <title>阿弥陀さまのお口もと 母のほほえみ - 今月のことば</title>
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    <published>2022-08-31T23:26:44Z</published>
    <updated>2022-08-31T23:28:28Z</updated>

    <summary> 	 	　最近は、電子書籍を使う事が多くなりました。電車や飛行機の移動中やちょっ...</summary>
    <author>
        <name>本光寺</name>
        
    </author>
    
    
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	　最近は、電子書籍を使う事が多くなりました。電車や飛行機の移動中やちょっとした待ち時間に読めるので利用しています。紙媒体の本は重いしかさばるし持ち歩いても一冊くらいでした。電子書籍は保管する場所にも困りません。漫画コミックはシリーズで揃えると結構な量になりました。昔そろえたコミック漫画に「じゃりン子チエ」があります。ホルモン焼き屋を切り盛りする小学5年生の女の子、家庭環境は大変だが持ち前の明るさとたくましさで奮闘するチエちゃんと個性的な町の人たちが大騒動を巻き起こすお話。チエちゃんのおばあちゃんがこんな事を言う「ひもじい　寒い　もう死にたい　不幸はこの順番で来ますのや」人間は寒くてお腹が空いている時はろくな事を考えない。なるほどなと感心して読んだ記憶があります。確かに寒い中での空腹はろくな事を考えません。日本は飽食の国だが、国連の発表によると、今年11月に世界人口はついに80億人を超えるそうです。2050年には97億人となるそうです。産業革命が始まった約250年前には10億人くらいだった人口が爆発的に増加し始めた。食料のほとんどを輸入に頼る日本ですが、一人当たり年間約41kgの食べ物をゴミにしています。しかし世界の貧しい国では食糧難となり食糧危機に陥っています。ウクライナがロシアの侵攻で穀物を輸出できなくなったり、異常気象で作物が収穫できなかったりと。ある人が世界の食糧事情を、一つの寿司桶に入ったお寿司をきちんと分け合うことが今の世界に求められている事だと言っていました。なるほど限られた食料で全ての人が生きていくには分け合う事が何より大事な事です。極楽では長い箸を使って向かい側の人の口に食べ物を運んであげるという。お腹が満たされれば笑顔になれるが、食べるものが無ければ奪い合う事にもなる。人口増加、政情不安、異常気象の今、世界が協力して克服しなければならない難問が山積しています。次代を担う子どもたちに明るい未来を約束できるだろうか。私の親世代は子ども時代に戦争を体験し、祖父母たちは子どもたちを命懸けで守りながら育ててきた。並大抵の苦労ではなかったでしょう。領土や資源の奪い合いで多くの命が失われていった。分け合えば争う事もないのに、自分のものにしようとするから争ってしまう。そんな中でも親は苦労の表情を見せず、子どもにはいつも笑顔で微笑んでいたんではないだろうか。今になって私もそんな事を思える様になってきた。自分の親不孝を自覚できたら、親の苦労が少し分かってきた。シンガーソングラーターのすぎもとまさが母親へ親不孝を謝る懺悔の墓参りの歌「吾亦紅（われもこう）」最近、心に響く。心に残る。心に刺さる。</div>
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	&hellip;&hellip;盆の休みに帰れなかった</div>
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	俺の杜撰（ずさん）さ嘆いているか</div>
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	あなたに あなたに 謝りたくて</div>
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	仕事に名を借りたご無沙汰</div>
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	あなたに あなたに 謝りたくて&hellip;&hellip;</div>
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	「吾亦紅」　すぎもとまさと</div>
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	&nbsp;</div>
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	しかし親は、子どもがどんなに親不孝をしても、見捨てず迎えてくれる。ゆるしてくれる。ほほえみながら。　　　　　</div>
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	　　　　　　なんまんだぶ</div>
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    <title>こんなにおかげさまを 散らかしている私 すみません - 今月のことば</title>
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    <published>2022-08-01T00:27:50Z</published>
    <updated>2022-08-01T00:29:53Z</updated>

    <summary> 	 	　先月8日、大変ショックングな事件がありました。参議院選挙の最中に元首相...</summary>
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        <name>本光寺</name>
        
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	<a href="http://honkouji.info/kotoba/kotoba/2022.08s.png"><img alt="2022.08s.png" class="mt-image-none" height="105" src="http://honkouji.info/kotoba/assets_c/2022/08/2022.08s-thumb-150xauto-1006.png" width="150" /></a></div>
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	　先月8日、大変ショックングな事件がありました。参議院選挙の最中に元首相が銃撃され亡くなるという考えられない事が起こりました。何がどうなってこんな事が起こる世の中になったのか。選挙活動中に銃撃されて政治家が殺されるとはなんて社会なんだろう。民主主義の国においてあってはならない事であり、思いも寄らない事件であり卑劣で野蛮な行為でしかありません。自由に自分の考えや思いを語る事ができる社会、意見を交換し闘わす事ができる事が保証される。それが何より大切な事であるべきなのに暴力で押さえ込んでは絶対にいけない。民主主義を根底から覆すような愚かな行為は決してあってはならない。今回の警察の警備体制もいろいろと言われています。そこで思い出すのが2019年前回の参議院選挙の時、札幌駅前での安倍首相（当時）の演説中にヤジを飛ばして北海道警察の警官に男女２名が排除された事件。排除は違法だという判決が今年の春先に札幌地裁であった。言論の自由を脅かす行為はあってはならない。この判決がもしかすると今回の警備において、できるだけ排除しない中で安全を確保するといった考え方になったんではないかと勝手に想像しました。また、事件後の報道の在り方も非常に気になって仕方がありません。選挙期間中にも関わらず、安倍元首相を偲ぶ形で事件当日報道特別番組を地上波キー局ではテレビ東京以外放送していたんではないだろうか。どんなに素晴らし首相だったか。どれほど日本のために尽くした人だったかなどなど。褒め称え、惜しむ声ばかりが繰り返される内容だったように記憶しています。亡くなられた事は大変傷ましい事ではあるけれど、安倍首相には、「森友学園問題」や「加計学園問題」、「桜を見る会」などの問題。何ひとつ解決していない事ばかりだと思うのは私だけでしょうか。挙げ句の果てに岸田首相は安倍さんの国葬を行うとまで言い出しました。安倍さんは素晴らしい実績を残された首相だった。国民のために尽くされた首相だった。だから国葬をするに値する首相なんだ。負の実績は隠され、安倍さんの目指したものの実現のためにみんなで進んでいこうという働きかけがどうにも気に入らない。安倍元首相を追悼する事は個人においてなされるべきことであって、国として全ての国民が追悼の意志を示そうというのは、思想及び良心の自由を脅かす事になります。憲法改正は安倍さんの悲願だった。憲法改正を問う国民投票の発議をやろうじゃないか。そんな流れができ始めている事に危機感を感じます。しかし、本当は私の知らない所で私のために安倍さんは働いてくれたいたんだろうとも思いますが、私は自己中心の物事の見方捉え方だけで生きているものですから、影になって見えていない事をなおざりにし、おかげさまと感じ取る事が出来ていない私の姿は、まさに散らかしている行為だと思います。だからこそ言論の自由は保証され、様々な意見が大切にされ議論されるべきですよね。</div>
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	　　　　 &nbsp; &nbsp;なんまんだぶ</div>
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